「11月5日は津波防災の日と聞いたけれど、なぜこの日なの?」「9月1日の防災の日とは何が違うの?」。毎年この時期になると、学校や職場で避難訓練の案内が届いたり、ニュースで「稲むらの火」という言葉を耳にしたりします。
この記事では、津波防災の日が定められた法律と世界津波の日との関係、日付のもとになった安政南海地震と「稲むらの火」の物語と史実の違い、濱口梧陵が残した堤防、当日に行われる訓練、家庭で確かめておきたいことまでをまとめました。
津波防災の日は毎年11月5日です。2011年の法律で定められ、1854年の安政南海地震で濱口梧陵が稲むらに火を放ち、村人を高台へ導いた「稲むらの火」の逸話にちなみます。2015年には同じ日が「世界津波の日」にもなりました。
津波防災の日は11月5日|2026年は木曜日・祝日ではない
津波防災の日は毎年11月5日で、日付は固定です。2026年は木曜日にあたります。法律で定められた記念日ですが、国民の祝日ではないため、学校や会社が休みになることはありません。むしろ平日の授業や勤務の時間を使って、避難訓練が行われることの多い日です。
ここでは、日本の法律で定められた経緯、国連で決まった「世界津波の日」との関係、名前の似ている9月1日の「防災の日」との違いを順に整理します。三つを押さえておくと、ニュースや学校のお便りで見かける言葉の意味がつかみやすくなります。
2011年の津波対策推進法で定められた日
津波防災の日を定めているのは、2011年(平成23年)6月に成立した「津波対策の推進に関する法律」です。同じ年の3月に起きた東日本大震災で、津波によって多くの命が失われたことを受けて作られました。法律には、津波の観測体制の強化や被害の予測、避難場所や避難路の整備といった対策とあわせて、11月5日を津波防災の日とすることが書き込まれています。
この日を設けたねらいは、津波についての理解と関心を広く深めてもらうことです。法律では、国と地方公共団体が、津波防災の日にその趣旨にふさわしい行事を行うよう努めることも定めています。毎年11月5日の前後に全国で訓練やイベントが集中するのは、このためです。
世界津波の日(2015年の国連総会)も同じ11月5日
2015年12月の国連総会では、日本をはじめとする142か国が共同で提案し、11月5日を「世界津波の日」とする決議が全会一致で採択されました。英語では「World Tsunami Awareness Day」と呼ばれ、津波への意識を高める国際的な日として位置づけられています。
日本の法律で決めた日付が、そのまま国際的な記念日の日付になった形です。津波は日本だけの災害ではなく、2004年のスマトラ島沖地震ではインド洋沿岸の国々に大きな被害が出ました。「稲むらの火」の逸話は、早く逃げることの大切さを伝える話として、海外にも紹介されています。
9月1日の「防災の日」との違い
名前の似ている「防災の日」は9月1日です。1923年の関東大震災が起きた日で、1959年の伊勢湾台風をきっかけに定められました。地震・台風・水害など災害全般への備えを呼びかける日で、8月30日〜9月5日は防災週間にあたります。
| 名称 | 日付 | 由来 | 主に扱う災害 |
|---|---|---|---|
| 津波防災の日 | 11月5日 | 安政南海地震(1854年)と「稲むらの火」 | 津波 |
| 世界津波の日 | 11月5日 | 2015年の国連総会の決議 | 津波 |
| 防災の日 | 9月1日 | 関東大震災(1923年)・伊勢湾台風(1959年) | 災害全般 |
防災の日が「あらゆる災害への備えを見直す日」だとすれば、津波防災の日は「津波から逃げる行動を確かめる日」と考えると区別しやすくなります。防災の日の由来や、ほかの防災に関する記念日はこちらにまとめています。

11月5日になった由来|安政南海地震と「稲むらの火」
11月5日という日付は、江戸時代の終わりに起きた安政南海地震の発生日にちなんでいます。このとき、紀州の広村で濱口梧陵という人物がとった行動が、のちに「稲むらの火」という物語になり、全国に知られるようになりました。
ただし、この「11月5日」は当時の暦(旧暦)での日付です。また、よく知られた物語と実際の出来事とでは、登場人物や火を放った場面が異なります。ここでは、地震そのもの、梧陵の行動、物語として広まった経緯と史実との違いの3つに分けて見ていきます。
1854年、安政南海地震の津波が紀州・広村を襲った
安政南海地震は、嘉永7年(この年のうちに改元されて安政元年)11月5日の夕方に起きた巨大地震です。今のカレンダー(新暦)に直すと、1854年12月24日にあたります。その前日の11月4日の朝には東海沖を震源とする安政東海地震が起きており、およそ30時間あまりの間をおいて、二つの巨大地震が続けて発生しました。
南海地震の津波は紀伊半島から四国、九州の沿岸を襲い、紀州の広村(現在の和歌山県有田郡広川町)でも多くの家が流されました。津波防災の日の11月5日は、新暦に置き換えずに当時の日付をそのまま使っています。実際に地震が起きたのは、今の暦でいえば冬至を過ぎた年の瀬にあたり、日が短く夕方にはすぐに暗くなる時期でした。
濱口梧陵が稲むらに火を放ち、村人を高台へ導いた
濱口梧陵(はまぐち ごりょう)は、広村の出身で、千葉県銚子で醤油づくりを営む濱口家(現在のヤマサ醤油)の当主でした。地震が起きたとき、梧陵は銚子ではなく故郷の広村にいました。
大きな揺れのあと、梧陵は村人に高台の広八幡神社へ逃げるよう呼びかけました。やがて押し寄せた津波で村は流され、日が暮れて辺りは真っ暗になります。梧陵は、逃げ遅れた人が暗闇でも安全な場所の方角がわかるように、田んぼに積まれた稲むら(刈り取った稲や稲わらを積み上げたもの)に次々と火を放ちました。その明かりを目印に、多くの村人が高台へたどり着いたと伝えられています。
稲むらは、農家にとって一年の収穫そのものです。それを燃やしてでも人の命を優先した判断が、この逸話が語り継がれてきた大きな理由です。

物語「稲むらの火」と史実の違い(五兵衛・小泉八雲・国語教科書)
この出来事を最初に物語にしたのは、作家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。短編「A Living God(生き神様)」で、村を救う人物を描きました。のちに和歌山県の小学校教員だった中井常蔵が、これを子ども向けに書き直して1934年(昭和9年)の文部省の教材公募に応募し、採用されます。こうして生まれたのが「稲むらの火」で、昭和12年(1937年)から10年ほど、尋常小学校5年生の国語の教科書に載りました。
物語と史実には、主に次のような違いがあります。
| 項目 | 物語「稲むらの火」 | 実際の出来事 |
|---|---|---|
| 人物 | 村の老人「五兵衛」 | 濱口梧陵(当時30代半ば) |
| 火を放った時 | 津波が来る前。海の異変に気づき、村人を高台へ呼び集めるため | 津波が来た後。暗闇で逃げ遅れた人に、逃げる方角を示すため |
| その後 | 村人が助かったところで物語が終わる | 村の復興と、次の津波に備える堤防づくりへ続く |
物語は、子どもにも伝わりやすいように場面をまとめ直したものです。違いはあっても、「揺れや海の異変を感じたら、すぐに高いところへ逃げる」という教えは共通しています。11月5日の前後は読書週間(10月27日〜11月9日)とも重なるので、絵本で親子一緒に読んでみるのもよいきっかけになります。

濱口梧陵が残したもの|広村堤防と今も続く行事
梧陵の功績は、稲むらに火を放った一夜だけではありません。津波のあと、梧陵は被災した人々の救援にあたり、さらに次の津波から村を守るための大きな堤防を、自分のお金で築きました。物語では描かれない、この「その後」の部分こそが、津波防災の日の意味をよく表しています。
ここでは、広村堤防がどのように造られ、のちの地震でどんな役割を果たしたのかと、地元の広川町で今も続く行事や記念施設を紹介します。和歌山を訪れる機会があれば、実際に堤防の上を歩くこともできます。
私財を投じて築いた広村堤防と、その後の南海地震
広村堤防は、安政2年(1855年)2月に工事が始まり、安政5年(1858年)12月に完成しました。長さは約600m、高さは約5m、根元の幅は約20mあります。費用は梧陵が私財でまかない、津波で家や仕事を失った村人を工事に雇いました。住まいを失った人々に働く場と収入を用意し、村から人が離れていくのを防ぐねらいもあったとされています。堤防の海側には津波の勢いを弱める防浪林として松が植えられました。最初の松は松くい虫の被害で枯れてしまいましたが、植え直された松が今も並木をつくっています。
完成から88年後の1946年(昭和21年)、昭和南海地震による津波が再び広村一帯を襲いました。このとき堤防は津波の流れ込みを防ぎ、背後の集落の大部分を守ったと伝えられています。広村堤防は1938年(昭和13年)に国の史跡に指定されました。
広川町の「稲むらの火の館」と津浪祭
和歌山県広川町には、梧陵の功績を伝える「稲むらの火の館」があります。広村堤防から歩いて行ける距離にあり、梧陵の生涯を紹介する濱口梧陵記念館と、津波の仕組みや避難について映像などで学べる津波防災教育センターを併設しています。インドネシアのアチェ州にあるアチェ津波博物館と協力協定を結ぶなど、海外との交流も行っています。
町では毎年11月3日に「津浪祭」が開かれます。梧陵ら堤防を築いた人々の功績をしのび、参加した子どもや住民が堤防に土を盛る行事です。完成した堤防を手入れしながら次の世代へ引き継ぐ、という考え方が形になった行事といえます。11月3日は文化の日でもあり、祝日に地域の歴史に触れる日になっています。

津波防災の日・世界津波の日に行われること
津波防災の日の前後には、国・自治体・学校・企業が一斉に訓練や啓発の取り組みを行います。中心になるのは、緊急地震速報の全国的な訓練と、沿岸の地域で行われる津波避難訓練です。海外でも、世界津波の日に合わせた取り組みが広がっています。
ここでは、2026年の全国訓練の時間、内閣府と自治体の訓練の内容、高校生サミットなどの国際的な取り組みを紹介します。住んでいる地域の訓練に参加するかどうかを考えるときや、子どもが学校で受ける訓練の意味を知りたいときの参考にしてください。
緊急地震速報の全国訓練(2026年は11月5日10時ごろ)
2026年は、内閣府・消防庁・気象庁が11月5日の10時ごろに、緊急地震速報の全国的な訓練を行う予定です。地域によっては防災行政無線などから訓練用の放送が流れ、学校や職場、商業施設でも、この放送に合わせて身を守る動きを確かめます。
訓練でよく取り入れられているのが、「まず低く」「頭を守り」「動かない」の3つの動作を一斉に行うシェイクアウト訓練です。揺れを感じたら机の下にもぐる、なければかばんやクッションで頭を守る、という動きを実際に体で確かめておくと、いざというときに迷わず動けます。沿岸の地域では、揺れが収まったあとに高台や津波避難ビルまで実際に歩く訓練を組み合わせるところもあります。
内閣府と自治体の地震・津波防災訓練
内閣府は毎年、11月5日を中心とした時期に、地方公共団体と連携して地域住民が参加する地震・津波防災訓練を行っています。実施する市町村は年ごとに選ばれ、日程も11月5日ちょうどとは限りません。2024年度は北海道から鹿児島県まで、複数の市町村で日程を分けて行われました。
自治体が独自に行う訓練もあります。たとえば兵庫県では、2026年11月5日の10時から、県と沿岸の市町が共同で、南海トラフ地震などを想定した津波避難訓練を行います。住んでいる自治体の訓練の日程は、市町村の広報紙やホームページ、防災アプリのお知らせで確かめられます。
世界津波の日の国際的な取り組み
世界津波の日に合わせた取り組みとして知られるのが、「世界津波の日」高校生サミットです。第1回は2016年11月に高知県黒潮町で開かれ、海外からも200人を超える高校生が集まり、成果として「黒潮宣言」がまとめられました。その後も和歌山県や北海道など国内各地で開かれ、津波を経験した国や地域の若い世代が防災について話し合う場になっています。
国連でも、毎年11月5日に合わせて津波への備えを呼びかける発信が行われています。日本の小さな村で起きた出来事が、国境を越えて「早く逃げる」大切さを伝える日になっている点が、世界津波の日の大きな特徴です。
津波防災の日に家庭で確かめたい3つのこと
津波防災の日は、家族で「どこへ、どうやって逃げるか」を確かめるのにちょうどよい日です。海から離れた地域に住んでいても、通勤・通学先や旅行先が海の近くということはよくあります。特別な道具をそろえるより先に、情報と行動の確認から始めるのが近道です。
ここでは、ハザードマップでの避難場所の確認、津波警報と津波フラッグの意味、家族の連絡方法と持ち出し品の見直しの3つを紹介します。具体的な避難場所や避難の方法は地域ごとに違うため、最終的にはお住まいの自治体が出している情報に従ってください。
ハザードマップで避難場所と経路を見る(避難所との違い)
まずは、自治体が配っている津波ハザードマップや、国土交通省の「ハザードマップポータルサイト」で、自宅や職場、学校が浸水の想定区域に入っているかを見ます。あわせて、近くの高台や津波避難ビルの場所と、そこまでの道順を家族で確かめておきましょう。
このとき注意したいのが、「避難場所」と「避難所」の違いです。指定緊急避難場所は、津波や洪水などの危険から命を守るために、まず逃げ込む場所です。避難所は、家に戻れない人がしばらく生活する場所で、津波のときに逃げる先として適しているとは限りません。避難場所の案内板には対応する災害の種類が示されているので、津波に対応しているかを確かめておくと安心です。
津波警報・注意報と津波フラッグを知っておく
気象庁が発表する津波の情報には、予想される津波の高さに応じて3つの段階があります。
| 種類 | 予想される津波の高さ |
|---|---|
| 大津波警報 | 3mを超える |
| 津波警報 | 1mを超え、3m以下 |
| 津波注意報 | 0.2m以上、1m以下 |
海水浴場や海岸では、赤と白の格子模様の「津波フラッグ」で、津波警報などが出たことを知らせる仕組みがあります。サイレンや放送が聞こえにくい人や、波の音で気づきにくい場所にいる人にも伝わるように使われています。海の近くでこの旗を見かけたら、すぐに海から離れて高いところへ向かうのが原則です。
家族の連絡方法と持ち出し品を見直す
津波から逃げるときは、家族を探しに危険な場所へ戻らないことが大切です。そのためにも、離れているときに地震が起きたらどこに集まるか、どうやって無事を伝え合うかを、あらかじめ決めておきます。災害用伝言ダイヤル(171)や、携帯電話会社の災害用伝言板の使い方を、一度家族で試しておくと安心です。
持ち出し品は、すぐに逃げられる重さにまとめるのがポイントです。飲み水、懐中電灯、携帯ラジオ、モバイルバッテリー、常備薬、防寒具などを玄関の近くに置いておきます。11月は朝晩の冷え込みが強くなる時期なので、季節に合わせて上着や使い捨てカイロを入れ替えておくと、夜間に逃げる場合にも備えられます。
津波防災の日についてよくある質問
- 津波防災の日は祝日ですか?
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祝日ではありません。法律で定められた記念日ですが、学校や会社は通常どおりです。2026年の11月5日は木曜日で、平日の授業や勤務の時間に避難訓練が行われることが多い日です。
- 津波防災の日と世界津波の日は同じ日ですか?
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どちらも11月5日です。津波防災の日は2011年に日本の法律で、世界津波の日は2015年に国連総会の決議で定められました。日付の由来はどちらも「稲むらの火」の逸話です。
- 安政南海地震は本当に11月5日に起きたのですか?
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当時の暦(旧暦)で11月5日です。今のカレンダーに直すと1854年12月24日にあたります。津波防災の日は、当時の日付をそのまま新暦の11月5日に当てはめています。
- 「稲むらの火」の五兵衛は実在の人物ですか?
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五兵衛は物語の登場人物で、モデルは広村出身の濱口梧陵です。物語では津波の前に火を放ちますが、実際には津波が来た後の暗闇で、逃げる方角を示すために火を放ったとされています。
- 津波防災の日に家でできることはありますか?
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ハザードマップで自宅や職場の浸水想定と避難場所を確かめる、家族の集合場所と連絡方法を決める、持ち出し品を見直す、の3つが手軽です。地域で訓練があれば、実際に避難場所まで歩いてみるのもよい機会です。
まとめ
津波防災の日は、2011年の津波対策推進法で定められた11月5日の記念日です。日付は、1854年の安政南海地震の際に濱口梧陵が稲むらに火を放って村人を救った「稲むらの火」の逸話にちなみ、2015年には同じ日が世界津波の日にもなりました。
- 日付は毎年11月5日(2026年は木曜日)。祝日ではない
- 安政南海地震の11月5日は旧暦の日付で、新暦では1854年12月24日にあたる
- 物語の五兵衛は津波の前に、実際の梧陵は津波の後の暗闇で火を放った
- 梧陵が私財で築いた広村堤防は、1946年の昭和南海地震の津波から集落の多くを守った
- 2026年は11月5日10時ごろに緊急地震速報の全国訓練が予定されている
11月はほかにも、文化の日や七五三など行事の多い月です。11月の行事をまとめて知りたい方は、こちらもどうぞ。

稲むらの火の教えは、「揺れや異変を感じたら、すぐに高いところへ逃げる」というシンプルなものです。津波防災の日をきっかけに、家族で避難場所と連絡方法を確かめておきましょう。
