マラソンの日は9月12日|由来と42.195kmになった理由

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9月12日が何の日か、ぱっと答えられるでしょうか。この日は「マラソンの日」です。名前のとおり42.195kmを走るあの競技にちなんだ記念日ですが、由来は日本のスポーツ史ではなく、約2500年前の古代ギリシャにさかのぼります。この記事では、マラソンの日が9月12日である理由と、その元になった「マラトンの戦い」と伝令の伝説を整理しました。あわせて、多くの人が一度は疑問に思う「なぜ42.195kmという半端な距離なのか」、そして日本のマラソンがいつどこで始まったのかもたどります。読み終えるころには、9月12日にちょっと誰かに話したくなる小ネタが増えているはずです。

マラソンの日は毎年9月12日で固定。語呂合わせではなく、古代ギリシャの「マラトンの戦い」の故事に由来します。

目次

マラソンの日は9月12日|由来は紀元前450年の「マラトンの戦い」

マラソンの日は毎年9月12日です。暦の計算で動く二十四節気のような行事ではないため、何年たっても日付は変わりません。2026年の9月12日は土曜日にあたります。

日本の記念日には「9(きゅう)」「1(い)」のように数字の語呂合わせで決まったものが多いのですが、マラソンの日はそのタイプではありません。紀元前450年9月12日に古代ギリシャで起きたとされる出来事――ペルシアの大軍を撃退した「マラトンの戦い」――にちなんで定められた日です。つまり由来をたどると、日本ではなくギリシャに行き着きます。

項目内容
名称マラソンの日
日付9月12日(毎年固定)
由来紀元前450年のこの日に「マラトンの戦い」があったとされることから
舞台古代ギリシャ・アテナイ近郊のマラトン(Marathon)
言葉の語源戦いの舞台となった地名「マラトン」
関連する記念日女子マラソンの日(4月16日)

伝令フェイディピデスが走った約40kmの伝説

マラトンの戦いは、アテナイ近郊の海岸マラトンに上陸したペルシアの大軍を、アテナイの名将ミルティアデスが奇策で撃退したとされる戦いです。数のうえでは圧倒的に不利だったアテナイ側が勝利したことから、古代ギリシャ世界では語り草になりました。

この勝報をアテナイの町へ届ける役目を負ったのが、フェイディピデス(フィディピデス)という兵士だったと伝えられています。彼はマラトンからアテナイまでの約40kmを走り抜き、「我勝てり」と告げたあと、力尽きて息絶えた――というのが、マラソンの日の元になっている逸話です。

競技名の「マラソン」も、この舞台となった地名マラトンからそのまま採られています。走る距離でも走り方でもなく、地名がそのまま競技名になったというのは、スポーツの名称としてはかなり珍しい成り立ちです。

古代ギリシャの海岸沿いの道を思わせる、落ち着いたトーンの風景イメージ

「紀元前450年」と「紀元前490年」——年代には2つの説がある

記念日の説明では「紀元前450年9月12日」と書かれることがほとんどですが、歴史の分野ではマラトンの戦いを紀元前490年の出来事とするのが一般的です。同じ戦いを指しているのに、40年もの開きがあることになります。

これは資料のどちらかが間違っているというより、古代の年代と月日を現在の暦に置き換える作業そのものに幅があるためです。当時のギリシャで使われていた暦は現在のカレンダーとは仕組みが違い、「何月何日」を一意に決めるのが難しい部分が残ります。記念日としては9月12日という日付で定着していますが、年代については説が分かれるものとして受け止めておくのが正確です。

伝説の中身にも異説がある

「勝利を伝えて絶命した」という劇的な話は広く知られていますが、実はこの逸話そのものにも異説があります。戦いから比較的近い時代に書かれたヘロドトスの『歴史』に登場するフェイディピデスは、勝報を運ぶ伝令ではなく、援軍を求めてアテナイからスパルタまで走った使者として描かれています。その距離は往路だけで200kmを超えるとされ、こちらはこちらで途方もない話です。

マラトンからアテナイへ走って勝利を告げ、そのまま息絶えた――という形で語られるようになったのは、数百年のちの著述家たちの記述にさかのぼると言われます。長い時間のなかで複数の話が重なり、今の形に整っていったと考えられます。

マラソンの日を語るときの押さえどころ
  • 日付は9月12日で固定。語呂合わせではなく古代ギリシャの故事に由来する
  • 戦いの年代は紀元前450年説と紀元前490年説がある
  • 伝令の逸話は「史実」ではなく「言い伝え」として語られてきたもの
  • 競技名の「マラソン」は地名マラトンがそのまま定着したもの

マラソンが競技になったのは1896年アテネオリンピックから

伝説が伝説のままで終わらなかったのは、1896年にギリシャのアテネで第1回近代オリンピックが開かれたからです。開催地が古代ギリシャゆかりの地であったことから、あの故事を偲ぶ種目を入れようという発想が生まれ、マラトンからアテネの競技場までを走る競走が新たに加えられました。ここで初めて、マラソンは正式なスポーツ競技になります。

第1回大会のコースはマラトン〜アテネ競技場の約40km

第1回大会のコースは、伝令が走ったとされる道筋をなぞるように設定されました。距離は約40kmで、現在の42.195kmではありません。この時点でのマラソンは「決められた距離を走る競技」ではなく、「マラトンからアテネまでを走る競技」だったわけです。距離が先にあったのではなく、道のりが先にあったという順番は、あとで出てくる42.195kmの話につながります。

地元ギリシャのスピリドン・ルイスが優勝

この記念すべき第1回のマラソンで優勝したのは、地元ギリシャのスピリドン・ルイスでした。水運びを生業としていた無名の青年が、古代の英雄譚をなぞるコースでトップに立ったという筋書きは観客の心をつかみ、大会全体を象徴する場面として語り継がれます。

マラソンがその後も途切れることなくオリンピックの花形種目であり続け、やがて世界中の市民大会にまで広がっていった背景には、この第1回大会での盛り上がりがあったと言われています。記念日の由来が「古代の伝説」だとしても、競技としての出発点は1896年のアテネにある、と整理しておくとすっきりします。

マラソンの距離はなぜ42.195km?半端な数字の理由

マラソンと聞いて多くの人が真っ先に思い浮かべるのが42.195kmという数字でしょう。40kmでも45kmでもなく、小数点以下まで細かく決まっているのは不思議に見えます。この半端さには、きちんとした理由があります。

1908年ロンドン大会のコース設定で生まれた距離

42.195kmが初めて登場したのは、1908年の第4回ロンドンオリンピックです。このときのコースはウィンザー城付近をスタートし、競技場でゴールする設定で、その道のりがちょうど26マイル385ヤード=42.195kmにあたりました。ヤード・ポンド法の数字を国際単位系に換算した結果が、あの小数点以下なのです。

なぜその距離になったのかについては、「スタートを城の敷地内に、ゴールを競技場の貴賓席の正面にしてほしいという要望があり、そのぶん距離が伸びた」という話が広く知られています。ただしこの経緯は諸説あるものとして扱われており、資料によって説明が異なります。面白い話ではありますが、確定した史実として断言はできない、というのが実際のところです。

正式に統一されたのは1924年のパリ大会から

意外に思われるかもしれませんが、1908年の時点ではまだ42.195kmが「決まり」になったわけではありません。その後の大会でも距離は開催地ごとにばらつき、統一が図られたのは1924年の第8回パリ大会のことでした。ロンドン大会で使われた42.195kmが基準として採用され、以降の大会もこの距離に揃っていきます。

大会マラソンの距離
第1回 アテネ1896年約40km
第2回 パリ1900年約40km
第3回 セントルイス1904年約40km
第4回 ロンドン1908年42.195km(初登場)
第5回 ストックホルム1912年約40km
第7回 アントワープ1920年約42.7km
第8回 パリ1924年42.195km(以降統一へ)

初期の大会の距離は資料によって数値に差があります。当時は計測方法も現在ほど厳密ではなく、「おおよそこのくらい」という幅を持って見るのが実情に合っています。

42.195kmはどのくらいの距離なのか

数字だけ見てもぴんとこないので、身近なものに置き換えてみます。電車の駅の間隔をおおよそ2kmとすると、42.195kmは20駅分ほど。歩く速さを時速4〜5kmとして計算すれば、休憩なしで歩き通しても9〜10時間かかる計算になります。

その道のりを、トップ選手は2時間と少しで走り切ります。時速にすると20kmを超える速さを、2時間以上保ち続けることになります。マラソン中継を見るときにこの数字を思い出すと、画面の中で淡々と進んでいく光景の異常さが少しだけ実感できるはずです。

日本のマラソンの始まりは1909年「マラソン大競走」

では、日本でマラソンが始まったのはいつなのでしょうか。近代オリンピックでマラソンが生まれてから十数年後、明治の終わりに日本でもその名を冠した大会が開かれています。

神戸〜大阪の約32km、日本で初めて「マラソン」と名づけられた大会

1909年(明治42年)3月21日、神戸の湊川埋め立て地をスタートし、大阪の西成大橋の東端をゴールとする約32kmの「マラソン大競走」が開催されました。日本で「マラソン」という名称が使われた大会としては、これが最初とされています。

参加申込は400人を超えましたが、体格試験と予選を経て出走できたのは20人ほど。優勝したのは金子長之助という選手で、記録は2時間10分54秒でした。現在のフルマラソンより10km短い距離とはいえ、道路事情も装備も今とは比べものにならない時代の記録です。

この大会にちなんで「日本マラソン発祥の地」の碑は神戸側と大阪側の双方にあり、どちらを発祥とするかについては両方の立場から説明がなされています。

日本マラソンの父・金栗四三とストックホルム五輪

日本のマラソンを語るうえで欠かせないのが、「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗四三です。1911年(明治44年)に開かれたオリンピックの国内予選で大差の優勝を果たし、日本初のオリンピック代表選手のひとりに選ばれました。

翌1912年(明治45年)のストックホルム大会に出場しますが、真夏の酷暑のなかレース途中で意識を失い、完走はかないませんでした。ただ、その後の彼は選手としてよりも指導者・普及者として日本の長距離界を支え続けます。

駅伝という日本独自の文化へ

金栗四三が関わった取り組みのひとつが、1920年(大正9年)に始まった東京箱根間往復大学駅伝競走――いわゆる箱根駅伝です。長い距離を複数人でつなぐ「駅伝」という形式は日本で育ったもので、今ではEKIDENとしてそのまま海外にも通じる言葉になりました。

古代ギリシャの伝令がひとりで走った物語が競技のマラソンになり、日本ではそれが襷をつなぐ文化へと枝分かれした。9月12日に由来をたどってみると、そんな流れが見えてきます。

9月12日はほかにもある記念日|宇宙の日・水路記念日・鳥取県民の日

9月12日はマラソンの日のほかにも、いくつかの記念日が重なっています。由来の性格がそれぞれ違うので、並べてみると面白い日です。

記念日由来
宇宙の日1992年のこの日、毛利衛さんが日本人として初めてスペースシャトル「エンデバー」で宇宙へ飛び立ったことから
水路記念日1871年のこの日、海上保安庁海洋情報部の前身にあたる水路局が設置されたことから
鳥取県民の日1881年のこの日、島根県から分かれて現在の鳥取県が再び置かれたことから
クイズの日「ク(9)イ(1)ズ(2)」の語呂合わせから

水路記念日は、もともと旧暦の7月28日を記念日としていたものを、のちに新暦へ換算し直して9月12日に移したという経緯を持ちます。日付の決め方ひとつを見ても、古代ギリシャの故事・日本人初の宇宙飛行・県の誕生・語呂合わせと、成り立ちがきれいに分かれているのがこの日の特徴です。

9月の記念日としては、数日前の9月9日「救急の日」も覚えやすい日付で知られています。同じ月に並ぶ記念日として、あわせて見てみるのもおすすめです。

マラソンの日の楽しみ方3つ

マラソンの日には決まった行事や食べ物があるわけではありません。だからこそ、気負わずに自分なりの楽しみ方を決められる日でもあります。走らなくてもできることを3つ挙げてみます。

STEP
42.195kmを自分の生活圏に重ねてみる

地図アプリで自宅から42kmの範囲を見てみると、「あの街まで走るのか」と距離感が一気に具体的になります。子どもと一緒にやると、社会科の地図の勉強にもなって一石二鳥です。

STEP
秋以降の大会を調べてみる

市民マラソンは秋から冬にかけて集中し、エントリーは数か月前に締め切られることも多くあります。フルだけでなく5km・10kmの部やウォーキング部門を設けている大会もあるので、地域名と「マラソン大会」で調べてみると選択肢の広さに驚くはずです。

STEP
「走る」より先に「歩く」から始める

いきなり走り出す必要はありません。一駅分歩く、遠回りして帰るといった小さなことからで十分です。体調に不安がある場合や持病がある場合は、無理をせず主治医に相談してから始めてください。

秋の並木道を歩く人の後ろ姿を捉えた、落ち着いたトーンのイメージ

マラソンの日の主役は「走ること」よりも「由来を知ること」。距離の理由や伝令の物語を知っておくと、テレビでマラソン中継を見る時間の面白さが変わります。

マラソンの日についてよくある質問

マラソンの日は毎年同じ日付ですか

はい、毎年9月12日で固定です。二十四節気のように暦の計算で動くことはありません。ただし由来となった「マラトンの戦い」の年代については、紀元前450年とする説と紀元前490年とする説があります。

「マラソン」という言葉はどこから来たのですか

戦いの舞台となったギリシャの地名「マラトン(Marathon)」がそのまま競技名になりました。距離や走り方を表す言葉ではなく、地名が由来という点が特徴です。

42.195kmはいつから決まったのですか

この距離が初めて使われたのは1908年のロンドンオリンピックです。ただしその時点では規定になっておらず、以降の大会に統一されたのは1924年のパリオリンピックからとされています。

「女子マラソンの日」という記念日もあるのですか

あります。こちらは4月16日で、東京・多摩湖畔で日本初の女子フルマラソン大会「女子タートルマラソン全国大会」の第1回が開かれたことに由来します。9月12日のマラソンの日とは由来も日付も別の記念日です。

日本で最初のマラソン大会はいつ開かれたのですか

1909年(明治42年)3月21日に神戸から大阪までの約32kmで行われた「マラソン大競走」が、日本で「マラソン」の名を用いた最初の大会とされています。優勝記録は2時間10分54秒でした。

9月12日には、ほかにどんな記念日がありますか

宇宙の日、水路記念日、鳥取県民の日、クイズの日などがあります。語呂合わせ・歴史的な出来事・行政上の節目と、由来の種類がそれぞれ違うのがこの日の面白いところです。

まとめ|9月12日は由来をたどると2500年前につながる日

マラソンの日は9月12日。語呂合わせではなく、古代ギリシャで起きたとされる「マラトンの戦い」と、勝報を走って届けた伝令の伝説に由来する記念日です。年代や逸話の中身には諸説がありますが、その物語が1896年のアテネオリンピックで競技として形になり、1908年のロンドン大会で42.195kmという距離が生まれ、1924年のパリ大会で世界共通の規格になりました。

日本では1909年の「マラソン大競走」がその名を冠した最初の大会となり、やがて駅伝という独自の文化にも枝分かれしていきます。2500年前の一人の走りが、いまも毎週末どこかの街で続いている――そう考えると、9月12日という日付の見え方が少し変わってきます。

マラソンの日は毎年9月12日。由来はマラトンの戦いの故事で、42.195kmという距離は1908年ロンドン大会のコースから生まれ、1924年のパリ大会以降に統一されました。

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