カレンダーを見ていて「米騒動の日」という記念日を見つけると、少し不思議な気持ちになりませんか。お祝いごとの記念日とは、どこか響きが違います。
じつはこの日は、いまから100年以上前に富山県で起きた、ある出来事にちなんでいます。ふだん何気なく食べているお米をめぐって、たくさんの人が声を上げた日なのです。
答えを先にまとめると、米騒動の日は7月23日、由来の舞台は富山県です。記事の後半では、当時の暮らしや全国への広がり方、いま魚津に残る史跡までたどります。
この記事では、米騒動の日がいつなのか、なぜその日に決まったのか、そして1918年に何が起きたのかを、やさしく解説していきます。
米騒動の日はいつ?7月23日に決まった由来
結論からお伝えすると、米騒動の日は毎年7月23日です。1918年(大正7年)のこの日に起きた出来事が、そのまま記念日の名前の由来になっています。
舞台となったのは、富山県魚津町(現在の魚津市)という港町でした。米の積み出しをやめて地元に売ってほしいと求めた動きが、全国へ広がる米騒動の出発点とされています。
記念日の名前と、史実の日付がぴったり重なっているタイプの記念日です。そのぶん、由来をたどりやすい日でもあります。
米騒動の日は毎年7月23日
米騒動の日は、日付が動かない固定の記念日です。毎年7月23日と決まっているので、覚えやすいですね。
語呂合わせで決められた記念日も多いなか、この日は史実の日付がそのまま採用されています。だからこそ、日付そのものに意味があるといえます。
日付が固定されているぶん、7月23日には別の記念日も重なります。たとえば「天ぷらの日」や「カシスの日」も、同じ7月23日の記念日です。
食べものの記念日が語呂合わせや暦にちなむのに対して、米騒動の日は史実の日付をそのまま使っています。7月23日を「何の日」として調べるときは、性格の違う記念日が並ぶ前提で見ると混乱しません。


なぜ7月23日なの?1918年の出来事が由来
7月23日という日付は、1918年7月23日に富山県で米騒動の発端となる行動が起きたことに由来します。この日を「すべての始まりの日」として記念日にしているのです。
米騒動そのものは、このあと全国へ広がって数か月続きました。しかし記念日は、最初のきっかけとなった7月23日に置かれています。
7月23日は、地元でも節目の日とされています。魚津市はこの日を「魚津米騒動の日」とし、出来事を後世に伝える日に位置づけています。
同じ日付を、全国向けの雑学的な記念日と、地元の記憶を受け継ぐ日の両方が使っている形です。
「米騒動の日」はだれが決めた記念日?
記念日のなかには、企業や団体が制定し、日付の登録まで済ませているものがあります。米騒動の日については、制定した団体や登録の記録を、公表されている資料のなかで確認することはできませんでした。
そのため、国民の祝日のような公的な日ではありません。暦や雑学を紹介するサイト・カレンダーで広く扱われるうちに定着した記念日、と考えるのが自然です。
由来ははっきりしているのに、「だれが決めたか」はあいまい。記念日にはこうした日も少なくありません。カレンダーで見かけたら、まずは由来の出来事のほうを確かめるのがおすすめです。
ここがポイント:米騒動の日は毎年7月23日。1918年7月23日に富山県で起きた出来事が、そのまま記念日の由来になっています。
米騒動とは?1918年に起きた出来事をやさしく解説
米騒動とは、米の値段が急に高くなったことに対して、全国の人々が「米を安く売ってほしい」と声を上げた大きな運動のことです。1918年の夏から秋にかけて、日本各地で起こりました。
ひとくちに米騒動といっても、その中身は一様ではありません。米屋への嘆願、役所への申し入れ、安売りを求める集まり、各地での衝突まで、行動の形はさまざまでした。
共通していたのは、主食が手の届かない値段になっていたという一点です。参加したのも特定の職業の人だけではなく、都市の働き手から農村の住民まで幅がありました。
米騒動ってどんな騒動だったの?
当時、お米の値段はどんどん上がっていました。生活に欠かせない主食が手に入りにくくなり、多くの家庭が困っていたのです。
そんななか、人々は米屋や役所に「値段を下げてほしい」「米を県外へ運び出さないでほしい」と要求するようになります。この一連の動きが、まとめて「米騒動」と呼ばれています。
値段が上がった理由は、ひとつではありませんでした。第一次世界大戦のころから物価全体が上がっていたところに、投機目的の買い占めが重なったと説明されています。
国立公文書館「日本のあゆみ」でも、この流れが解説されています。政府がシベリア出兵の方針を固めたことを背景に、投機目当ての買い占めが起こり、米価が急騰した、という説明です。1918年に入ってからの値上がりは、とくに急でした。
米が「食べるもの」ではなく「儲けるための商品」として動いた結果、家計が直撃を受けたわけです。
全国に広がったきっかけ
最初は富山県の小さな町での出来事でした。ところが、その様子が新聞で報じられると、同じように米価に苦しんでいた各地の人々が次々と行動を起こします。
名古屋や京都、大阪といった大きな都市にも波及し、騒動は9月ごろまで続きました。参加した人の数は、全国で70万人を超えたともいわれる大きな運動になりました。
富山県内でも、動きは1か所では終わりませんでした。8月3日には西水橋町(現在の富山市)での出来事が全国紙で報じられ、これを機に県外への波及が一気に進みます。
事典類の解説では、騒動が広がった範囲は1道3府38県、起きた場所は368か所と整理されています。期間はおよそ50日間で、各地には軍隊も出動しました。
| 1918年の日付 | 主な動き |
|---|---|
| 7月23日 | 富山県魚津町で、米の積み出しをやめるよう求める動きが起こる |
| 8月3日 | 富山県西水橋町での動きが全国紙で報じられ、各地へ伝わる |
| 8月上旬〜中旬 | 京都・名古屋・大阪など都市部へ波及。政府も米価対策の資金支出を発表 |
| 9月ごろ | 各地の動きが落ち着いていく |
同じ時期に、同じ理由で困っていた人が全国にいたこと。それが、広がりの速さにつながりました。

なぜ富山県の魚津で始まったの?
米騒動の発端となったのは、富山県の魚津(うおづ)という港町です。ここで漁師の家の主婦たちが起こした行動が、全国へ広がる最初の一歩となりました。
「1918年の米騒動の発端は何県か」と聞かれたときの答えも、この富山県です。県名とあわせて、魚津という港町の名前まで押さえておくと説明しやすくなります。
魚津は、集めた米を船に積んで県外へ送り出す港町でもありました。米が運び出されていく光景が、暮らしのすぐそばにあったわけです。
きっかけは漁家の主婦たちの行動
1918年7月23日の朝、魚津町で漁師の家の主婦たち約50人が集まりました。彼女たちは、米が船で県外(北海道など)へ運び出されようとしているのを見て、その積み出しを止めようとしたのです。
「自分たちが食べる米すら手に入らないのに、なぜ県外へ運ぶのか」という切実な思いがありました。夕方には米屋を訪ね、米の積み出しをやめることと値下げを求めています。
集まった場所は、大町海岸にあった十二銀行の米倉庫の前でした。ここは、商人が買い付けた米を船に積み込むまで預かっていた倉庫です。
なお、集まった人数は資料によって幅があり、「数十人」と記す解説も見られます。100年以上前の出来事なので、細かい数字は一つに定まっていないと考えておくとよいでしょう。

特別な組織があったわけではなく、暮らしに困った普通の主婦たちの行動が始まりだったんです。
米価が急騰していた背景
なぜ魚津の家庭がそこまで困っていたのでしょうか。背景には、いくつかの事情が重なっていました。
- お米の需要が増える一方で、価格が急激に上がっていた
- 富山の漁師は樺太などへ出稼ぎに行くことが多かったが、不漁で収入が途絶えがちだった
- 主食である米が高くなり、漁家の家計が特に苦しくなっていた
生活の土台がぐらついていたところに、米価の高騰が追い打ちをかけた、というわけです。
ここに、地元ならではの事情が加わります。米が集まる土地でありながら、その米が目の前から船で運び出されていく。値上がりのなかでその光景を見れば、不満が形になるのも自然なことでした。
同じ夏、同じように米価で苦しんだ地域は全国にありました。魚津が最初になったのは、米が運び出される現場が目に見える場所だったことも大きいといえます。
いま魚津に残る米騒動の跡
魚津には、米騒動の記憶を伝える場所が残っています。米の積み出しが行われた大町海岸のあたりが「米騒動発祥の地」とされ、1998年(平成10年)に石碑が建てられました。
当時の米倉(旧十二銀行米倉)も現存しています。修理と改修を経て、2011年(平成23年)7月23日から一般公開されました。
見学には事前の予約が必要と案内されています。訪ねる予定があるなら、魚津市観光案内公式サイトで最新の受け入れ状況を確認しておくと安心です。
教科書の一行として知っている出来事も、建物が残っていると聞くと少し距離が縮まります。
米騒動が社会に与えた影響
米騒動は、単なる一時的な混乱では終わりませんでした。当時の政治や、その後の社会のあり方にも大きな影響を残しています。
動きが全国に広がるなかで、政府も対応を迫られました。1918年8月には米価対策のための資金支出が決まり、各地で米の安売りが行われています。
ただし安売りは一時的な措置で、値段そのものを下げ続ける力にはなりませんでした。暮らしの困りごとから始まった動きは、やがて政治の中心にまで届いていきます。
内閣総辞職につながった
全国に広がった米騒動への対応をめぐり、当時の内閣は厳しい批判を受けました。その結果、寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣は総辞職に追い込まれます。
寺内内閣が総辞職したのは、1918年9月21日のことです。続いて9月29日には、立憲政友会の原敬(はらたかし)を首相とする内閣が成立しました。
原敬内閣は、陸軍・海軍・外務の大臣を除く閣僚を政党の議員でそろえた内閣として知られています。米騒動は、そうした政治の切り替わりと重なった出来事でした。
暮らしに困った人々の声が、国のトップを動かすほどの力を持った出来事だったのです。
その後の暮らしへの影響
米騒動をきっかけに、社会では「人々の暮らしをどう守るか」という意識が高まりました。労働運動や社会運動が活発になる一つの転機ともいわれています。
制度の面でも動きがありました。1921年(大正10年)には、米穀法という法律が定められます。政府が米を買い入れたり売り渡したりして、値段の急な変動を調節するしくみです。
主食の値段を市場の動きだけに任せない、という考え方が形になった時期でもあります。米をどう安定して届けるかという課題は、このあとも長く議論されていきました。
ふだんの食卓を支えるお米が、これほど大きな社会の動きにつながったという点は、いま振り返っても印象的です。
米騒動の発端をめぐる諸説と当時の呼び名
米騒動は100年以上前の出来事で、残っている記録も新聞報道が中心です。そのため、細かい部分には資料による書き方の違いがあります。
記念日として広く使われている日付は7月23日ですが、「始まり」をどこに置くかは一通りではありません。呼び名についても、当時の新聞がつけた言葉がそのまま残っています。
歴史の出来事を人に紹介するときは、こうした幅があることも一緒に知っておくと安心です。
発端の日付は7月22日とする資料もある
記念日の由来は7月23日ですが、資料によっては前日の7月22日を始まりとするものもあります。魚津での動きが数日にわたっていたため、どこを起点に数えるかで日付が変わるのです。
富山県内でも、7月下旬から8月にかけて複数の町で似た動きが続きました。魚津の出来事だけが、ぽつんと孤立して起きたわけではありません。
そのうえで、記念日として定着しているのは7月23日です。学校の学習やクイズで問われる場合も、この日付が答えになります。
「女一揆」は当時の新聞がつけた呼び名
米騒動を紹介する文章には、「越中女一揆」「越中女房一揆」という言葉が出てくることがあります。これは1918年8月3日の西水橋町での動きが報じられたとき、新聞が使った見出しの表現です。
つまり、参加した人たちが自分で名乗った呼び名ではありません。当時の報じ方が、そのまま歴史用語のように残った形です。
富山県博物館協会が公開している調査では、県内の新聞と全国紙とで報道の仕方に差があったことも整理されています。呼び名や人数は、どの資料をもとにするかで変わると考えておくとよいでしょう。
米騒動の日をきっかけに考えたいこと
米騒動の日は、お祝いの記念日ではありません。けれども、7月23日という日付は、私たちの暮らしと食べ物の関係を見つめ直すきっかけになります。
記念日と聞くと、何かを買ったり食べたりして楽しむ日を思い浮かべます。米騒動の日は、その意味では少し性格の違う日です。
特別な行事があるわけでもありません。だからこそ、日付を知ったその日に、ふだんの食卓を少し意識してみるくらいがちょうどよい距離感かもしれません。
ふだんの「お米」を見つめ直す
いまはスーパーに行けば、当たり前のようにお米が並んでいます。その「当たり前」が、かつては当たり前ではなかった時代があったのです。
米騒動の日をきっかけに、いつもの一杯のごはんを少していねいに味わってみる。そんな小さな気づきが、この記念日の意味を身近にしてくれるかもしれません。
たとえば、いつも食べているお米がどこで作られたものかを、袋の表示で確かめてみる。それだけでも、産地や作り手を意識するきっかけになります。
炊く量を少しだけ減らして、残さず食べきってみるのもひとつです。手を動かすと、記念日の由来が自分の生活とつながって記憶に残ります。
今日の気づき:当たり前に食べているお米にも、歴史があります。7月23日は、食べ物のありがたさをふと思い出せる日です。




お米にちなんだ記念日は、7月23日だけではありません。8月18日の「ビーフンの日」も、「米」という漢字を「八」と「十八」に分けられることから決められた日で、原料である米への感謝が込められています。


よくある質問
- 米騒動の日は毎年同じ日ですか?
-
はい、毎年7月23日で固定です。1918年7月23日に富山県で米騒動の発端となる出来事が起きたことにちなんでいます。
- 米騒動はどこで始まったのですか?
-
富山県の魚津(うおづ)という港町で始まりました。漁師の家の主婦たちが米の県外への積み出しを止めようとした行動が発端です。
- 米騒動はどのくらいの規模だったのですか?
-
富山での出来事が新聞で報じられると全国へ波及し、名古屋・京都・大阪などの大都市にも広がりました。参加者は全国で70万人を超えたともいわれ、当時の内閣が総辞職する一因にもなりました。
- 歴史の学習では、米騒動はどんな位置づけで出てきますか?
-
大正デモクラシーと呼ばれる時期の出来事として扱われ、原敬内閣の成立とセットで紹介されることが多い出来事です。年号(1918年)、発端の県(富山県)、結果(内閣の交代)の三つをつなげると、流れで理解しやすくなります。
- 「米騒動」という言葉は、いつの出来事を指しますか?
-
歴史用語としては、1918年(大正7年)に全国へ広がった動きを指すのが一般的です。米をめぐる別の時代の騒ぎと区別したいときは、「1918年の米騒動」「大正の米騒動」のように年号を添えると誤解が減ります。7月23日の記念日が由来としているのも、この1918年の出来事です。
まとめ:米騒動の日は7月23日
最後に、米騒動の日のポイントを振り返っておきましょう。
- 米騒動の日は毎年7月23日
- 由来は1918年7月23日に富山県・魚津で起きた出来事
- 漁家の主婦たちが米の県外移出阻止と値下げを求めたのが発端
- 新聞報道を機に全国へ広がり、内閣総辞職の一因にもなった
- 発端の日付は7月22日とする資料もあり、人数の記録にも幅がある
- 魚津には「米騒動発祥の地」の石碑と、当時の米倉が残っている
まず何からと迷ったら、カレンダーの7月23日に「米騒動の日」と書き足しておくのがいちばん簡単です。人に由来を話せるようにしておきたいなら、「1918年・富山県魚津・米の積み出し」の三つだけ覚えておけば十分に説明できます。
米騒動の日は、いつものごはんのありがたさに気づかせてくれる記念日。7月23日には、食卓のお米に少しだけ思いを寄せてみてはいかがでしょうか。




















