東京の日は7月17日|由来と都民の日・都政記念日との違い

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カレンダーをめくると、7月17日に「東京の日」と書かれていることがあります。東京という都市の名前がそのまま記念日になっているのは、少し不思議な感じがしませんか。

この日は、江戸が「東京」という名前に生まれ変わったことを記念する日です。ただ、東京にちなむ記念日はほかにもあり、混同されやすいのが厄介なところ。

この記事では、東京の日の由来と江戸が東京になった理由、そして「都民の日」「東京都政記念日」との違いまで、まとめて整理していきます。

目次

東京の日とは?7月17日に制定された記念日

東京の日は、1868年(慶応4年)7月17日に江戸が東京へと改称されたことにちなむ記念日です。日本の首都機能が京都から東へ移っていく、大きな転換点となった日でもあります。

東京の日は7月17日。江戸という地名が「東京」に改められた日です。

改称が決まった慶応4年7月17日は、江戸城が新政府へ明け渡されてから3か月ほどのちの出来事です。元号が明治に改まるのは同じ年の9月8日なので、東京という地名のほうが先に生まれています。

戊辰戦争はまだ各地で続いており、新しい国のかたちが固まりきらないうちに、名前だけが先に切り替わりました。

東京の日はいつ?日付と由来の概要

東京の日は毎年7月17日です。国民の祝日ではなく、いわゆる「今日は何の日」として親しまれている記念日にあたります。

由来となったのは、明治天皇が発した詔書(しょうしょ)です。この詔書によって江戸は東京と改められ、天皇が江戸で政務を執ることが示されました。

都市の名前が変わるというのは、現代の感覚ではなかなか想像しにくい出来事です。市町村合併で新しい市名が生まれるのとは、規模も意味合いもまるで違います。

なぜ7月17日なのか|旧暦と新暦のずれ

ここで少しややこしいのが、暦の問題です。改称が行われた慶応4年7月17日は旧暦(太陰太陽暦)の日付で、現在使われている新暦(グレゴリオ暦)に換算すると1868年9月3日にあたります。

つまり実際の季節でいえば、初秋の出来事だったことになります。それでも記念日が7月17日とされているのは、当時の記録に残る日付をそのまま採用しているからです。

旧暦の日付をそのまま記念日にしている例は、日本の歴史系記念日ではめずらしくないんです。

日本が新暦に切り替わったのは1873年(明治6年)1月1日から。江戸が東京になった時点では、まだ旧暦が使われていた時代でした。

明治時代の東京(江戸)の街並みを思わせる落ち着いたイメージ

江戸が「東京」になった理由

江戸が東京へと改称された背景には、新政府による国づくりの構想がありました。単なる地名変更ではなく、政治の中心をどこに置くかという問題と深く結びついていたのです。

地名としての江戸は、この日を境に公文書の上から姿を消していきます。それでも言葉としては残り、江戸前・江戸切子・江戸間のように、魚や工芸、畳の寸法を指す言い方として使われ続けています。

名前が変わった当日に、街の暮らしが切り替わったわけではありません。人の行き来も商いもそれまで通りで、真っ先に書き換わったのは書類や看板の上の表記でした。

明治天皇の詔書によって決まった改称

改称を決めたのは「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」と呼ばれる文書です。ここで江戸という地名が東京に改められることが公式に示されました。

この詔書には、天皇みずからが江戸で政務にあたるという方針も込められていました。地名の変更と政治の中心の移動が、セットで進められたわけです。

幕府が倒れ、江戸城は明治政府の手に渡っていました。その城が皇居(当時は東京城、のちに宮城)となり、江戸は新しい時代の中枢へと役割を変えていきます。

詔書のなかでは、江戸が東国でもっとも重要な土地であり、四方から人や物が集まる場所だという点が挙げられています。天皇がみずから出向いて政務にあたる場所として、江戸がふさわしいという理屈でした。

「東の京」という名前に込められた意味

東京という名前は、文字どおり「東の京(みやこ)」を意味します。西にある京都に対して、東にもうひとつの都を置く、という構図です。

京都はそれまで長く都であり続けた土地でした。その京都を否定するのではなく、東西に都を並べる形で名前が考えられたと見ることができます。

「京」は都を意味する漢字で、方角と組み合わせて都市の名前にする例は中国にもあります。北京や南京がそれにあたり、東京という二文字も同じ組み立て方をしています。

名前の対比

京都=西の京(さいきょう)に対して、江戸=東の京。東京という名前は、この対比の上に成り立っています。

実際、当時は京都を「西京(さいきょう)」と呼ぶ言い方も使われていました。

京都から正式に遷都したわけではない?

意外に思われるかもしれませんが、「京都から東京へ遷都する」と明記した法令は出されていません。改称の詔書にも、遷都という言葉は使われていないのです。

1869年(明治2年)に明治天皇が東京へ移り、政府の機能も順次移されていきました。事実として都の機能は東京へ移りましたが、形式的な宣言はないままでした。

そのため「京都は今も都である」という主張が、京都の一部で語り継がれてきた経緯があります。歴史の解釈としては、なかなか味わい深いところです。

この経緯があるため、東京への移りかわりは「遷都」ではなく「奠都(てんと)」という言葉で呼び分けられることがあります。都を新しく定めるという意味で、前の都をたたむ遷都とは区別する言い方です。

実際、京都御所は取り壊されることなく残されました。天皇が東京へ移ったあとも建物と敷地は保存され、現在も見学することができます。

東京府の設置|町奉行所から府庁への切り替え

江戸の町を動かしていた役所も、詔書と同じ日に入れ替わりました。慶応4年7月17日、それまで町の行政を受け持っていた市政裁判所が廃止され、かわりに東京府が置かれています。

この日から東京は、土地の名前であると同時に役所の名前でもある言葉になりました。東京府という呼び名は、そのあと75年にわたって使われ続けることになります。

発足したばかりの東京府が受け持ったのは、江戸時代に「朱引内(しゅびきうち)」と呼ばれた町奉行所の管轄地域でした。今の23区にあてはめると千代田・中央・港・文京の全域と、新宿・台東・墨田・江東の一部にあたり、その外側の村々は別の役所の受け持ちでした。

町奉行所は5月に廃止され市政裁判所になった

江戸の町では、行政も司法も警察の役目も、南北に分かれた町奉行所が一手に引き受けていました。新政府は慶応4年5月19日にこれを廃止し、南市政裁判所と北市政裁判所を置いています。

当時の「裁判所」は、今の司法機関とは意味が違います。その土地の行政を受け持つ役所を指す呼び名で、各地に置かれた裁判所はのちの府や県につながっていきました。

南北に分けて受け持つ仕組みはそのまま引き継がれ、町の側から見れば看板が奉行所から裁判所に替わった形でした。

府庁は幸橋内の大名屋敷に置かれた

東京府の庁舎に選ばれたのは、幸橋内にあった大和郡山藩柳沢家の上屋敷です。今の千代田区内幸町にあたる場所で、幕府の時代の大名屋敷がそのまま役所として使われました。

正式に開庁したのは慶応4年8月17日、すべての業務を庁舎へ移して執務を始めたのは9月2日でした。いずれも旧暦の日付で、詔書が出てから実務が動き出すまでには1か月半ほどかかっています。

この屋敷跡の庁舎が使われたのは1894年(明治27年)までです。その年に有楽町へ赤れんが造りの新庁舎が完成し、府の仕事はそちらへ移りました。

「とうけい」と読まれていた時代

東京という地名が生まれた当初、その読み方は今のように一つに定まっていませんでした。「とうきょう」と「とうけい」が並び立っていた時期があるのです。

改称を告げた詔書は漢文体で書かれており、新しい地名をどう読むかまでは書かれていません。表記は決まったものの、読み方については何も定められないまま使われ始めたことになります。

そのため改称のあとも呼び方は人によって分かれ、二通りの読みが並んで使われる時期がしばらく続きました。

地名や国名の読みが一つに決まらないことは今もあり、日本を「にほん」とも「にっぽん」とも読むのがその例です。

明治期に揺れていた読み方

「京」という漢字には、呉音の「きょう」と漢音の「けい」という二つの読みがあります。京都が「きょうと」と読まれる一方で、東京は「とうけい」とも読まれていました。

明治期の文献や引き札(当時の広告)には、東京に「トウケイ」とふりがなが振られた例が残っています。当時の人々にとって、どちらも自然な読み方だったのでしょう。

呉音は仏教とともに早い時期に伝わった読み、漢音は奈良時代以降に中国から学び直された読みで、日本語にはこの二つの層が重なって残っています。行を「ぎょう」とも「こう」とも読むのは、その名残です。

「とうきょう」に統一されるまで

読み方が「とうきょう」へと収束していったのは、学校教育の普及が大きく影響したと考えられています。教科書での表記が統一されるにつれ、読み方も一本化されていきました。

明治後期から大正にかけて「とうけい」は次第に使われなくなり、現在では歴史的な読みとして知られるのみとなっています。

ただし、東京の「京」を「けい」と読む言い方が消えたわけではありません。京成電鉄の社名は東京の「京」と成田の「成」から取られており、東京と横浜の間を指す「京浜」も同じ読み方です。

今でも競馬の「東京競馬場」を「とうけいけいばじょう」とは読みませんが、明治の人が聞いたら違和感を覚えなかったかもしれません。

東京の日と間違えやすい3つの記念日

東京にちなむ記念日は、実は複数あります。日付も由来も別物なので、ここで整理しておきましょう。混同されやすいのはこの3つです。

記念日日付由来
東京の日7月17日江戸が東京に改称された日(1868年・旧暦)
東京都政記念日7月1日東京都制が施行された日(1943年)
都民の日10月1日東京市が市長を持つ自治体になった日(1898年)にちなむ

表を年代順に読み直すと、1868年・1898年・1943年と、それぞれ30年から45年ほどの間をおいて起きた出来事です。三つが別々の時代の話だとつかんでおくと、記憶が混ざりにくくなります。

都民の日(10月1日)との違い

都民の日は、東京都が条例で定めている記念日です。1898年(明治31年)10月1日に市制特例が廃止され、東京市が独自の市長を持つ自治体としての歩みを始めたことにちなんでいます。

都内の公立学校が休みになったり、動物園や庭園などの都立施設が無料開放されたりするため、都民にとっては東京の日よりずっと身近な存在でしょう。

ここでいう市制特例とは、1889年に市制が始まったときに東京・京都・大阪の三市だけに置かれた例外の仕組みです。この三市には市長も市役所も置かれず、府知事と府の職員が市の仕事を兼ねていました。

特例が置かれていた期間は約10年におよび、その間の東京市は府と一体の運営でした。

東京都政記念日(7月1日)との違い

東京都政記念日は、1943年(昭和18年)7月1日に東京都制が施行されたことにちなむ日です。それまで別々だった東京府と東京市が廃止され、「東京都」という一つの自治体になりました。

同じ7月にあるうえ「東京」がつくため、東京の日と取り違えられやすい記念日です。改称が東京の日、都という枠組みの誕生が都政記念日、と覚えると整理しやすくなります。

3つの違いの覚え方

  • 7月17日:地名が「東京」になった日
  • 7月1日:「東京都」という自治体になった日
  • 10月1日:「東京市」が市長を持つ自治体になった日(都民の日)

7月17日はほかにも記念日がある

7月17日は東京の日だけでなく、いくつかの記念日が重なっています。同じ日付に複数の記念日があるのは、日本ではごく普通のことです。

7月17日には理学療法の日もあります。1966年のこの日に日本理学療法士協会が設立されたことにちなむ記念日で、協会自身が制定しました。

世界絵文字デーもこの日にあたります。スマートフォンのカレンダーの絵文字が7月17日を表示することにちなみ、絵文字の情報を集めるサイトの創設者が2014年に提唱した記念日です。

たとえば漫画の日も、7月17日に設定されている記念日のひとつ。カレンダーの余白に注目してみると、意外な発見があるかもしれません。

東京の日の楽しみ方

東京の日は行事やイベントが決まっている記念日ではありません。だからこそ、江戸から東京へと移り変わった歴史に触れてみる日として過ごすのがおすすめです。

江戸が東京になった当時の文書は、今もまとまった形で残されています。改称を定めた詔書は国立公文書館が所蔵しており、デジタル展示で画像を見ることができます。

東京府と東京市が作った公文書およそ3万4千冊は東京都公文書館が所蔵し、国の重要文化財に指定されています。当時の役所がどんな紙のやりとりをしていたかを、そのまま追える資料です。

江戸から東京への足あとをたどる

都内には、江戸時代の面影を残す場所が数多くあります。皇居の周辺には江戸城の石垣や堀が今も残り、当時の規模を体感できます。

本丸跡は皇居東御苑として公開されており、天守台の石垣も残っています。天守そのものは明暦の大火(1657年)で焼けたあと再建されず、土台だけが江戸城の規模を今に伝えています。

上野の山が公園として開かれたのは、寛永寺の境内だった土地が新政府の手に移ったあとの1873年(明治6年)です。

浅草や神楽坂、深川といった街を歩けば、地名や社寺に江戸の記憶が息づいているのがわかるはずです。夏なら、江戸から続く祭りの季節とも重なります。

地図や古地図で名前の変化を見る

江戸切絵図などの古地図と現在の地図を見比べるのも、この日ならではの楽しみ方です。町名の由来や、川が埋め立てられた跡などが浮かび上がってきます。

図書館やオンラインの地図アーカイブでも古地図は閲覧できます。自分が住んでいる場所、通勤で通る場所が江戸時代にどうだったかを調べると、身近な景色の見え方が変わってきます。

7月17日は、通いなれた街の名前の由来をひとつ調べてみる。それだけでも、東京の日らしい過ごし方になります。

江戸から東京へと名前が変わったあとの街は、明治のうちに乗り物も大きく変わっていきました。東京の道に電車が走り始めた日については、こちらの記事でまとめています。

空の玄関口とのつながりも、東京の歩みを物語ります。東京オリンピック直前の1964年に羽田空港と浜松町を結んだモノレールの開業日も、記念日になっています。

よくある質問

東京の日は祝日ですか?

祝日ではありません。学校や職場が休みになることもなく、いわゆる「今日は何の日」として知られる記念日です。

東京の日と都民の日はどちらが有名ですか?

都民の日(10月1日)のほうが広く知られています。都立施設の無料開放や学校の休みがあり、生活に関わる場面が多いためです。

なぜ「東京」という名前になったのですか?

「東の京(みやこ)」という意味で名づけられました。西の京都に対して、東にも都を置くという考え方が背景にあります。

東京は「とうけい」と読まれていたと聞きましたが本当ですか?

明治期には「とうけい」という読み方も使われていました。「京」の漢音読みによるもので、その後「とうきょう」に統一されていきました。

京都から東京へ正式に遷都したのはいつですか?

遷都を明記した法令は出されていません。1869年に明治天皇が東京へ移り、政府機能も移されたことで、事実上の首都が東京になりました。

まとめ|東京の日は7月17日

東京の日は、1868年7月17日(旧暦)に江戸が東京へ改称されたことにちなむ記念日です。名前の意味は「東の京」で、西の京都と対をなす形で名づけられました。

当初は「とうけい」とも読まれ、京都からの正式な遷都宣言もないままに都の機能が移っていった。そんな曖昧さを含んだ歩みが、この地名の背景にはあります。

東京の日(7月17日)、東京都政記念日(7月1日)、都民の日(10月1日)。この3つを区別できれば、東京にまつわる記念日はもう迷いません。

  • 区別の軸は「地名が変わった日」「都という自治体ができた日」「市が自前の市長を持った日」の三つ
  • 7月17日には東京府も置かれ、町奉行所の仕事は市政裁判所を経て府庁へ引き継がれた

東京の日は7月17日。江戸が「東の京」となった日を機に、街の歴史をたどってみてはいかがでしょう。

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