カレンダーや子どもの行事で「五節句」という言葉を見かけて、なんとなく気になっていませんか。ひな祭りや端午の節句は知っていても、「五節句」としてまとめて説明されると意外と答えに詰まるものです。
五節句とは、季節の節目に無病息災や子孫繁栄を願う、日本に古くから伝わる5つの伝統行事のこと。この記事では読み方から由来、5つそれぞれの意味と行事食まで、一覧でわかりやすく整理してご紹介します。
2026年の五節句は、人日が1月7日(水)、上巳が3月3日(火)、端午が5月5日(火)、七夕が7月7日(火)、重陽が9月9日(水)にあたります。
五節句は「人日・上巳・端午・七夕・重陽」の5つ。奇数が重なる日を選び、季節の変わり目に邪気をはらって健やかな暮らしを願う日です。
五節句とは?読み方と5つの節句の一覧
五節句とは、1年のうち季節の節目にあたる5つの日を指す伝統行事です。それぞれの日に旬の植物の力を借りて邪気をはらい、無病息災や豊作、子孫繁栄を願う習わしがあります。
季節の節目を表す言葉には二十四節気や雑節もありますが、五節句は日付の決まり方が違います。二十四節気が太陽の動きから毎年計算されるのに対し、五節句は月と日の数字であらかじめ決まっている日です。
日付が固定されているので、五節句は年が変わっても同じ日付でめぐってきます。年ごとに変わるのは曜日だけで、平日に当たる年も珍しくありません。
まずは読み方と、5つの節句の全体像から見ていきましょう。
五節句の読み方は「ごせっく」
五節句は「ごせっく」と読みます。「節句」は季節の節目となる日のことで、もともとは「節供」とも書きました。「供」は神様に供える食べ物を意味し、節目の日に旬のものをお供えしていたことに由来します。
そのため、古い文献では「五節供」と表記されることもあります。現在は「五節句」の表記が一般的ですが、意味するところは同じです。
「節」の字には「せち」という読みもあり、正月の「おせち料理」は節目の日に供えた「御節供(おせちく)」を縮めた言葉です。節句と節供が同じものを指していたことは、この言葉の残り方からもたどれます。
五節句の一覧|日付・別名・行事食の早見表
5つの節句を、日付・別名・代表的な行事食でまとめると次のようになります。それぞれが季節の旬の植物と深く結びついているのが特徴です。
| 節句 | 日付 | 別名 | 主な行事食 |
|---|---|---|---|
| 人日(じんじつ) | 1月7日 | 七草の節句 | 七草がゆ |
| 上巳(じょうし) | 3月3日 | 桃の節句 | ちらし寿司・はまぐりのお吸い物・菱餅 |
| 端午(たんご) | 5月5日 | 菖蒲の節句 | 柏餅・ちまき |
| 七夕(しちせき) | 7月7日 | 笹の節句 | そうめん |
| 重陽(ちょうよう) | 9月9日 | 菊の節句 | 菊酒・栗ごはん |
こうして並べてみると、すべて奇数の月と日が重なっている点に気づきます。なぜ奇数の重なる日が選ばれたのか、次の章で見ていきましょう。

五節句の由来|なぜ奇数の重なる日なのか
五節句が奇数の重なる日に定められているのは、中国から伝わった陰陽五行説の考え方が背景にあります。さらに江戸時代には幕府が公式の式日として制度化し、庶民にも広く定着しました。
なお、五節句の「五」は節句が五つあることを指す言い方で、陰陽五行説の五行(木・火・土・金・水)と一つずつ対応しているわけではありません。五行説から受け継いだのは、数を陰と陽に分けて見る考え方のほうです。
中国の陰陽五行説と「奇数=陽」の考え方
古代中国では、奇数を「陽の数」、偶数を「陰の数」と考えていました。陽の数である奇数はめでたい数とされる一方で、同じ陽の数が重なる日は逆に気が強まりすぎ、不安定になりやすいとも考えられていたのです。
そこで、奇数が重なる節目の日には、旬の植物や食べ物の力を借りて邪気をはらう風習が生まれました。菖蒲や菊といった香りの強い植物が用いられるのは、その香りに邪気を退ける力があると信じられていたためです。

奇数が重なる日って、めでたいのに用心も必要——そんな絶妙なバランスから生まれた行事なんですね。
江戸時代に幕府が公式の式日に定めた
これらの行事は奈良・平安時代に宮中行事として日本に取り入れられ、長く貴族の間で受け継がれてきました。やがて江戸時代になると、幕府が人日・上巳・端午・七夕・重陽の5つを「五節句」として公式の式日(祝日にあたる日)に定めます。
この制度化によって、それまで宮中や武家のものだった節句行事が庶民にも広まりました。ひな人形を飾る、こいのぼりを揚げるといった現在も続く習慣の多くは、この時代に形づくられたものです。
式日に指定された日には、大名や旗本が式服で江戸城に登城し、将軍へ祝いを述べる決まりがありました。年始とならぶ公式の行事日として、五節句の日付が武家の予定表に組み込まれていたことになります。
豆知識:1月1日が五節句に入らない理由
奇数が重なる日なら1月1日も該当しそうですが、元日は別格の特別な日として扱われたため、五節句には含まれず、代わりに1月7日の人日が選ばれました。
5つの節句それぞれの意味と行事食
ここからは5つの節句を順番に見ていきます。それぞれに込められた願いと、旬の植物・行事食のつながりを知ると、季節の行事がぐっと身近に感じられます。
行事食を並べると、旬の植物の使い方は三通りに分かれます。七草がゆや菊酒のようにそのまま口にするもの、柏餅やちまきのように植物で包むもの、菱餅やそうめんのように色や形に願いを託すものです。
正月や十五夜など、五節句の外側にある行事食は、行事食を一覧にした記事が受け持っています。


人日(1月7日)|七草の節句
人日の節句は「七草の節句」とも呼ばれ、春の七草を入れた七草がゆをいただく日です。「人日」は文字通り「人の日」という意味で、中国でこの日に人を占い大切にした故事に由来します。
正月のごちそうで疲れた胃腸を休め、一年の無病息災を願うという、現代の暮らしにもなじみやすい意味が込められています。せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろが春の七草です。
七草がゆは1月7日の朝に食べる習わしで、スーパーでも年明けすぐに七草のパックが並びます。春の七草は寒い時期に育つ若菜がそろっており、正月料理で偏りがちな食卓に青菜を戻す形にもなっています。
上巳(3月3日)|桃の節句
上巳の節句は「桃の節句」として親しまれ、女の子の健やかな成長を願う行事です。ひな人形を飾り、ちらし寿司やはまぐりのお吸い物、菱餅などをいただきます。
もとは紙の人形に厄を移して水に流す「流しびな」の風習があり、これがひな人形へと発展しました。桃の花が咲く季節と重なることから、桃の節句と呼ばれるようになっています。
「上巳」は「じょうし」のほか「じょうみ」とも読み、辞典には両方の読みが載っています。三月の上旬の巳の日をあらわす暦の言葉が、そのまま節句の名前になったものです。
ひな人形を出す時期や、食べ物ひとつずつに込められた意味は、桃の節句だけを扱った記事のほうで書いています。


端午(5月5日)|菖蒲の節句
端午の節句は「菖蒲の節句」とも呼ばれ、男の子の成長と健康を願う行事です。こいのぼりや五月人形を飾り、柏餅やちまきを食べる習慣があります。
香りの強い菖蒲を軒先に飾ったり、菖蒲湯に入ったりして邪気をはらいます。「菖蒲」が「尚武(武を尊ぶ)」に通じることから、武家社会で特に重んじられ、男の子の節句として定着していきました。
「端午」の「端」ははじめ、「午」は十二支の午の日を指し、もとは月のはじめの午の日という意味の言葉でした。「午」と「五」の音が通じることから、日付が5月5日に固定されていきます。
七夕(7月7日)|笹の節句
七夕は「しちせき」とも読み、「笹の節句」とも呼ばれます。中国から伝わった、機織りや手芸の上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」の風習が、日本の星伝説や穢れをはらう行事と結びついて生まれました。
笹竹に願いごとを書いた短冊を飾るのは日本独自の習わしです。行事食としては、糸に見立てたそうめんをいただく地域もあります。織姫と彦星の物語でおなじみの、夏の夜空を見上げる節句です。
平安時代の宮中では、梶(かじ)の葉に和歌を書いて星に手向ける形で行われていました。梶は和紙の原料になる木で、神事にも使われてきた植物です。
重陽(9月9日)|菊の節句
重陽の節句は「菊の節句」とも呼ばれ、不老長寿を願う行事です。陽の数(奇数)の最大である「9」が重なることから「重陽」と名づけられ、五節句の中でも特にめでたい日とされてきました。
菊の花を浮かべた菊酒を飲んだり、栗ごはんを食べたりして長寿を祝います。現在ではあまり知られていませんが、かつては五節句を締めくくる大切な行事でした。
五節句を日付順に並べると、秋にあたるのはこの重陽だけです。9月9日を過ぎると次は年が明けた1月7日の人日で、4か月ほど間があきます。日付そのものは今も9月9日のままで、変わったのは行事の規模のほうです。


五節句にまつわる素朴な疑問
五節句を一覧で見ると、いくつか「なぜ?」と思う点が出てきます。よく挙がる2つの疑問について、背景を整理しておきましょう。
5つの別名を並べると、七草・桃・菖蒲・笹・菊とすべて植物の名前です。一方の正式名は人日・上巳・端午・七夕・重陽で、こちらは暦や中国由来の言葉からできています。
ふだん耳にするのは別名のほうなので、正式名で並べられると急に見慣れない字面になります。読み方や表記への引っかかりが生まれるのは、この呼び分けが理由です。
なぜ重陽の節句だけあまり知られていないのか
桃の節句や端午の節句に比べ、重陽の節句の知名度が低いのには理由があります。大きいのは、旧暦から新暦への移行による季節のズレです。
重陽の節句は本来、旧暦9月9日(現在の10月中旬ごろ)の行事でした。この時期は菊が美しく咲き、収穫の秋とも重なる節目です。しかし新暦の9月9日に当てはめると、まだ菊の見頃前で季節感が合わず、行事が定着しにくくなったと考えられています。
「節句」と「節供」はどう違う?
結論からいえば、「節句」と「節供」はどちらも同じ行事を指す言葉です。読み方も意味も変わりません。
もともとは神様に食べ物(供物)をお供えする日という意味で「節供」と書かれていました。時代が下るにつれて、季節の節目の「句切り」を表す「節句」の表記が一般的になっていったとされます。古い資料で「五節供」と見かけても、戸惑う必要はありません。
辞典や新聞の見出しでは「節句」が使われるのが一般的ですが、民俗学の文献では「節供」の表記を選ぶ例もあります。二通りあるのは意味の違いではなく、どちらの由来を前に出すかの違いです。
五節句の歴史|明治6年の廃止と、それでも残った理由
江戸時代に公式の式日だった五節句は、明治に入って制度としては一度なくなっています。それでも行事のほうは家庭や地域に残り、現在まで続いてきました。
五節句がいま「祝日ではないのに毎年めぐってくる日」という位置づけになっているのは、この明治の切り替えが理由です。国が定める日から、家庭が続ける日へと性格が変わりました。
五節句の日付の多くが、旧暦の日付から新暦の同じ数字の日へ移されたのも、この時期の出来事です。
明治6年の布告で「式日」から外れた
1873年(明治6年)1月4日、太政官布告第1号「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」によって、五節句は公式の式日ではなくなりました。旧暦の明治5年12月3日を明治6年1月1日とする改暦が行われた、その直後にあたります。
代わりに定められたのは、紀元節や天長節といった皇室にかかわる祝日で、季節の節目という考え方とは別の枠組みでした。五節句は制度から外れ、暦の上の目安として残る形になります。
現在の国民の祝日にも、七夕や重陽は入っていません。七夕が休みにならない理由は、七夕の祝日だけを取り上げた記事で個別に扱っています。


制度がなくなっても行事が残ったのはなぜか
式日でなくなったあとも五節句が消えなかったのは、行事の中身が家庭の手の内にあったからです。人形を出す、菖蒲を湯に浮かべる、七草を刻むといった手順は、役所の制度がなくても続けられます。
子どもの成長を祝う行事として学校や地域の行事に取り込まれたこと、和菓子や人形といった商いと結びついたことも、途切れなかった背景に挙げられます。ただし、どの要素がどれだけ効いたかは文献によって説明が分かれます。
一方で、家庭で行う理由が弱かった重陽は目立たなくなりました。制度の上では5つとも同じ扱いで廃止されたのに、その後の残り方には差が出ています。
五節句についてよくある質問
- 五節句は祝日(休日)ですか?
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現在の五節句は祝日ではありません。江戸時代には幕府の公式な式日でしたが、明治6年(1873年)の太政官布告で五節句が式日から外れ、現在は祝日として残っていません。ただし5月5日のみ「こどもの日」として国民の祝日になっています。
- 五節句に共通する目的は何ですか?
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季節の変わり目に邪気をはらい、無病息災や子孫繁栄、長寿などを願うことが共通の目的です。それぞれの季節の旬の植物や食べ物の力を借りる点も共通しています。
- 五節句以外に「節句」はありますか?
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広い意味では季節の節目を指す言葉なので他にも節句はありますが、一般に「五節句」といえば人日・上巳・端午・七夕・重陽の5つを指します。江戸幕府が公式に定めたのがこの5つだったためです。
- なぜ5月5日だけが国民の祝日になっているのですか?
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五節句が祝日に戻ったわけではありません。1948年(昭和23年)に定められた国民の祝日に関する法律が、こどもの日を5月5日に置いたためです。同法はこの日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日と定めており、端午の節句とは別の考え方に立つ祝日です。
- 「男の子の節句」「女の子の節句」という呼び方は正しいですか?
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慣用としては広く通じますが、五節句のもともとの区分ではありません。端午が男の子、上巳が女の子という組み合わせは、後の時代に定まった見方です。5月5日の祝日であるこどもの日も、法律の上では性別を限定していません。
まとめ|五節句は季節の節目を祝う日本の伝統行事
五節句とは、人日(1月7日)・上巳(3月3日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)の5つの伝統行事のこと。奇数が重なる季節の節目に、旬の植物の力を借りて邪気をはらい、健やかな暮らしを願う日です。
陰陽五行説に由来し、江戸時代に幕府が公式の式日と定めたことで庶民にも広まりました。ひな祭りやこどもの日として今も親しまれている行事も、その源をたどれば五節句に行き着きます。
五節句は「季節を感じ、健康と幸せを願う」という日本人の暮らしの知恵が詰まった行事。次に節句の日が訪れたら、由来を思い出しながら旬の食べ物を味わってみてはいかがでしょうか。
- 日付は1月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日で固定。動くのは曜日だけ
- 奇数が重なる日を選ぶ考え方は中国由来。旬の植物で邪気をはらう点が5つに共通する
- 江戸幕府が式日に定めて庶民へ広まり、明治6年の布告で式日としては廃止された
- 国民の祝日として残るのは5月5日のこどもの日だけ。ほかは行事として続いている
個別の節句の由来や行事食は、それぞれの節句を単独で扱った記事に分けて書いています。七夕にあたるのは次の記事です。























