7月30日は「プロレス記念日」です。1953年(昭和28年)のこの日、力道山を中心に日本プロレス協会が結成されたことにちなんでいます。
ところが、プロレスの記念日にはもうひとつ「プロレスの日」(2月19日)があり、この2つは混同されがちです。この記事では、プロレス記念日が7月30日になった由来と、2月19日との違い、そして日本のプロレス文化が広まった背景をまとめて解説します。
プロレス記念日は7月30日。1953年に日本プロレス協会が結成された日で、2月19日の「プロレスの日」とは由来になった出来事が異なります。
プロレス記念日はいつ?7月30日です
プロレス記念日は、毎年7月30日です。日付は固定されていて、年によって動くことはありません。
日付が動かないのは、由来になっているのが1953年7月30日という実際の出来事だからです。ハッピーマンデー制度で移動する祝日や、「第2日曜日」のように曜日で決める記念日とは、日付の決め方そのものが違います。
この日は、日本のプロレス団体が組織として産声を上げた日にあたります。試合の記念日ではなく、団体の設立記念日という点が特徴です。
2026年の7月30日は、協会の結成からちょうど73年後にあたります。記念日を振り返るときは、この年数を目安にすると出来事との距離感がつかみやすくなります。
ちなみに2026年の7月30日は木曜日。1953年の7月30日も、同じく木曜日でした。
曜日は年ごとにずれていきます。2027年の7月30日は金曜日、2028年は日曜日です。日付が固定されている記念日は、数年先の曜日まで前もって確かめられるという利点があります。
プロレス記念日の由来|1953年の日本プロレス協会結成
プロレス記念日の由来は、1953年7月30日に「日本プロレス協会」が結成されたことです。戦後の日本にプロレスという興行を根づかせるための、最初の組織的な一歩でした。
それ以前の日本にも、プロレスに近い興行がまったくなかったわけではありません。ただ、継続的に試合を開催する団体としてまとまったのは、この結成が出発点になります。
ここでいう「協会」は、試合を興行として打つための組織です。競技のルールを決める競技団体とは役割が違い、選手を抱えて会場を押さえ、観客を呼ぶところまでを担いました。記念日になったのは、その担い手がひとつにまとまった日という点です。
中心にいたのは力道山
日本プロレス協会の結成を主導したのは、プロレスラーの力道山(りきどうざん)です。日本のプロレス界の礎を築いた人物で、「日本プロレス界の父」とも呼ばれています。
力道山の代名詞は「空手チョップ」。大きな体格の外国人選手に立ち向かい、手刀で反撃する姿が観客の心をつかみました。戦後の日本で、力道山は文字どおりの国民的ヒーローになっていきます。
力道山はリングに上がる選手であると同時に、興行を取り仕切る側の人物でもありました。看板選手と主催者を1人が兼ねる形は、この時期の日本プロレスを動かした仕組みそのものです。
大相撲からプロレスへ転向した経歴
力道山は、もともと大相撲の力士でした。番付は関脇まで昇進した実力者で、その後、角界を離れてプロレスへ転向しています。
相撲で培った体づくりと立ち合いの迫力は、そのままリング上の武器になりました。力士がプロレスラーになるという道筋は、のちの世代にも受け継がれていきます。
角界を離れたのは1950年で、プロレスに転じたのは翌1951年です。協会の結成は、そこから2年後にあたります。転向してすぐ組織づくりへ動いたのではなく、選手として実績を積む時間を挟んでいます。
「プロレスの日」(2月19日)との違い
プロレスの記念日には、7月30日の「プロレス記念日」と、2月19日の「プロレスの日」の2つがあります。似た名前ですが、由来になった出来事はまったく別です。
紛らわしさの正体は、名前の差が「記念日」と「の日」だけという点にあります。会話でどちらを使うかによって、指している日付が7月30日にも2月19日にも変わります。
| 記念日 | 日付 | 由来になった出来事 |
|---|---|---|
| プロレス記念日 | 7月30日 | 1953年、日本プロレス協会が結成された(団体の設立) |
| プロレスの日 | 2月19日 | 1954年、日本初の本格的な国際試合が行われた(試合の開催) |
2月19日は日本初の本格的な国際試合の日
2月19日の「プロレスの日」の由来は、1954年2月19日に東京・蔵前国技館で行われた試合です。力道山と柔道家の木村政彦が組み、アメリカを拠点に活動していたシャープ兄弟と対戦しました。
これが日本で初めての本格的な国際試合とされ、プロレス人気が爆発するきっかけになりました。団体の結成からわずか半年あまりでの実現です。
力道山と組んだ木村政彦は、戦前から戦後にかけて全日本選手権で頂点に立ち続けた柔道家です。対するシャープ兄弟は、アメリカの主要団体だったNWAが認定する世界タッグ王者でした。名の通った顔ぶれがそろったことも、注目の大きさにつながっています。
2つの記念日はこう覚えると迷わない
混同しやすい2つですが、覚え方はシンプルです。「団体ができた日」と「歴史的な試合があった日」で区別すれば十分です。
2つの記念日の覚え方
- 7月30日「プロレス記念日」=組織が生まれた日(1953年)
- 2月19日「プロレスの日」=試合で人気に火がついた日(1954年)
- 時系列は7月30日 → 2月19日の順
記念日の名前が似ていて由来が別、という例はほかにもあります。7月25日の「最高気温記念日」と「日本最高気温の日」の関係も、同じタイプの紛らわしさです。

同じ題材で名前の似た記念日が別々の日に置かれている例は、動物の記念日にもあります。8月12日の「世界ゾウの日」と、4月28日の「象の日」がその一組です。

街頭テレビが映した戦後のヒーロー
プロレス記念日を語るうえで欠かせないのが、テレビとの関係です。日本のプロレスは、テレビ放送の普及とともに国民的な娯楽へと駆け上がりました。
日本でテレビの本放送が始まったのも1953年で、協会が生まれた年とちょうど重なります。受像機がまだ高価で家庭にはほとんど無い時期に、駅前に置かれた受像機が人を集める舞台になりました。プロレスとテレビは、同じ時期に走り出した組み合わせだったわけです。
放送する側から見ても、プロレス中継は決まった時間に大勢の目を引きつけられる数少ない番組でした。

新橋駅西口に約2万人が集まった中継
1954年2月のシャープ兄弟戦は、日本テレビとNHKが中継しました。当時はテレビが家庭にほとんど普及しておらず、多くの人は駅前などに設置された「街頭テレビ」で試合を見ることになります。
東京・新橋駅西口の広場に置かれた街頭テレビの前には、約2万人が押し寄せたと記録されています。画面に映る力道山の空手チョップに、群衆が沸いたわけです。
街頭テレビは、日本テレビが駅前や広場に設置した受像機です。誰でも無料で見られたため、中継のある時間帯には広場が人で埋まりました。テレビを持っている家庭が少ないほど、街頭に人が集まるという構図でした。
日本プロレス協会のその後
日本プロレス協会を母体とする興行は「日本プロレス」として続き、力道山の没後もジャイアント馬場やアントニオ猪木といったスター選手を輩出しました。
やがて1972年、猪木が新日本プロレス、馬場が全日本プロレスをそれぞれ設立します。日本プロレス自体は1973年に活動を終えましたが、そこから枝分かれした団体が、その後のプロレス界を支えていきました。
力道山が亡くなったのは1963年12月です。結成から10年で中心人物を失いながらも興行は続き、リングの主役が次の世代へ移っていきました。テレビ中継の枠組みも、新しく生まれた団体へ引き継がれています。
7月30日はほかにもこんな記念日
7月30日は、プロレス記念日以外にも記念日が重なっている日です。代表的なのが「梅干しの日」です。
梅干しの日は「梅干しを食べると難が去る」という言い伝えから、「7(なん)が30(さる)」の語呂合わせで制定されました。同じ7月30日でも、由来のつくり方はまったく違いますね。

「生サーモンの日」も、同じ7月30日に置かれた記念日です。数字の読み替えから日付が決まった点が、出来事にちなむプロレス記念日との違いになります。

7月下旬は、こうした記念日が集まる時期でもあります。7月の行事や記念日をまとめて知りたい場合は、次の記事が便利です。

7月30日は国連の国際デーでもある
7月30日には、国連が定めた国際デーが2つ置かれています。ひとつは「国際フレンドシップ・デー」(国際友情の日)で、2011年の国連総会で定められました。人と人、国と国のあいだの友情が平和につながるという考え方にもとづく日です。
もうひとつは「人身取引反対世界デー」で、人身取引の被害をなくすための行動を呼びかける日にあたります。国内向けの記念日一覧では見かけないこともありますが、同じ7月30日には世界規模のテーマも重ねられています。
プロレス記念日の楽しみ方
プロレス記念日は、何か決まった行事があるわけではありません。だからこそ、自由に楽しめる記念日でもあります。気軽にできる3つの方法を挙げてみます。
由来が団体の結成という出来事なので、この記念日は歴史をたどる方向にも、いま行われている試合を見る方向にも寄せられます。もうひとつ、日付そのものを話題として使う方向もあり、この三つは互いに独立していて、どれか一方に絞る必要はありません。以下では、その三つの方向を順に見ていきます。

(1) 昭和のプロレス史を追ってみる
力道山の空手チョップから、馬場・猪木の時代へ。日本のプロレス史は、そのまま戦後の大衆文化史でもあります。書籍や映像で歴史をたどると、記念日の意味が立体的に見えてきます。
たどる入口は、本と映像で印象が変わります。新聞の縮刷版や放送局が公開しているアーカイブには、当時の紙面や中継の空気がそのまま残っています。人物の評伝と団体の歩みをまとめた本でも、同じ出来事から見えてくる面が違います。年表を先に1本用意しておくと、出来事の前後関係が追いやすくなります。
(2) 現役の試合をチェックしてみる
いまのプロレスは、団体ごとに雰囲気が大きく異なります。配信サービスで試合を見比べたり、近くの会場のスケジュールを調べたりするのも、記念日らしい過ごし方です。
見たい選手が決まっているなら、その選手が所属する団体から探すと目当ての試合に行き着きます。配信は団体ごとにサービスが分かれていることが多いためです。1つの大会は複数の試合で構成されていて、通しで見ると数時間かかります。時間が取れない日は、メインの1試合だけを選ぶという見方もできます。
(3) 「7月30日は何の日?」の話題として使う
プロレス記念日は、雑談のネタとして意外に強いカードです。プロレスに詳しくない相手でも、「団体ができた日と、有名な試合の日で記念日が2つある」という話なら興味を持ってもらえるでしょう。
スポーツの記念日には、語呂合わせではなく実際のできごとの日付が由来になっているものが少なくありません。月をまたいで8月18日の高校野球記念日をたどってみると、1953年のプロレス協会結成と同じように、1915年の第1回大会という出発点があります。

よくある質問
- プロレス記念日はいつですか?
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毎年7月30日です。1953年7月30日に、力道山を中心として日本プロレス協会が結成されたことにちなんでいます。
- 「プロレスの日」との違いは何ですか?
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プロレス記念日(7月30日)は団体が結成された日、プロレスの日(2月19日)は1954年に日本初の本格的な国際試合が行われた日です。由来になった出来事が異なります。
- 力道山はどんな人物ですか?
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大相撲で関脇まで昇進した元力士で、その後プロレスへ転向しました。空手チョップを武器に戦後日本の国民的ヒーローとなり、「日本プロレス界の父」と呼ばれています。
- 日本プロレス協会はいまもありますか?
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母体となった興行「日本プロレス」は1973年に活動を終えました。そこから分かれた新日本プロレス(1972年設立)や全日本プロレス(1972年設立)が、その後のプロレス界を担っています。
- プロレス記念日は誰かが公式に制定した記念日ですか?
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7月30日という日付の根拠は、1953年に起きた協会の設立という出来事です。制定者や登録の有無まで確かめたいときは、記念日の認定・登録を行っている一般社団法人日本記念日協会の記念日データベースで、日付から検索する方法があります。同じ7月30日でも、企業や団体が申請して登録した記念日なら、制定者と登録年が公開されています。
まとめ:7月30日は日本のプロレスが始まった日
プロレス記念日のポイント
- プロレス記念日は毎年7月30日
- 由来は1953年の日本プロレス協会の結成
- 中心人物は力道山(元大相撲の関脇)
- 2月19日の「プロレスの日」は1954年の国際試合が由来
- テレビ中継と街頭テレビが人気拡大を後押しした
- 1954年2月の中継は日本テレビとNHKの2局が伝えた
- 7月30日は国連の「国際友情の日」「人身取引反対世界デー」でもある
プロレス記念日は、ひとつの興行文化が始まった日を記録した記念日です。試合の華やかさよりも、その土台がつくられた日という意味合いが強い記念日といえます。
試合や選手ではなく、組織が生まれた日を記録している点に、この記念日の性格がよく表れています。1953年7月30日という日付は語呂合わせから作られたものではないので、名前の似た記念日と並んでいても、由来をたどればどちらの日を指しているのかがはっきりします。
7月30日は「日本のプロレスが組織として生まれた日」。2月19日の「プロレスの日」とセットで覚えると、記念日の由来がすっきり整理できます。
