女子大生の日は8月21日|由来は日本初の女子大生3人の誕生

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「女子大生の日」という記念日を見かけて、いつのことだろうと調べにきた方が多いのではないでしょうか。検索すると8月16日と8月21日の二つが出てきて、どちらが正しいのか迷ってしまいます。

この記事では、女子大生の日の日付とその由来、なぜ日付が二つ流通しているのか、そして1913年に日本で初めて大学へ進んだ3人の女性がどんな人だったのかを順にまとめます。8月21日にほかにどんな記念日があるかも最後に整理しました。

先に結論をお伝えすると、女子大生の日は8月21日です。長らく8月16日とされてきましたが、根拠となる日付の取りちがえが分かり、2020年に8月21日として登録し直されています。

目次

女子大生の日は8月21日|日本初の女子大生が誕生した日

女子大生の日は8月21日です。1913年(大正2年)のこの日、東北帝国大学(現在の東北大学)が3人の女性の入学を認めたことが官報に載り、日本で初めての女子大生が誕生しました。

記念日としての基本情報は次のとおりです。

項目内容
日付8月21日
由来となった出来事1913年8月21日、東北帝国大学が女性3人の入学を許可(官報に掲載)
入学した3人黒田チカ・丹下ウメ・牧田らく
登録2020年、一般社団法人日本記念日協会に登録
申請したところ東北大学(男女共同参画委員会)

女子大生の日は8月21日。語呂合わせではなく、日本で初めて女性が大学生になった日そのものが記念日になっています。

1913年8月21日に何があったのか

この日、東北帝国大学の理科大学に、黒田チカ・丹下ウメ・牧田らくという3人の女性が入学を認められました。当時の帝国大学は男子が学ぶ場と考えられており、女性が正規の学生として名を連ねるのは前例のないことでした。

3人はいずれも女子高等師範学校や日本女子大学校といった、女性のための高等教育機関を出たあとに受験しています。すでに教える側に立っていた人もいて、学び直しとしての進学でもありました。

入学の知らせは全国紙にも取り上げられ、当時としては大きな話題になりました。ひとつの大学の判断が、そのまま社会のできごとになったわけです。

大正期の大学の校舎と並木道を、落ち着いた色調で上品に捉えた写真風イメージ

「日本初」といえる理由|当時の女子高等教育

1913年より前にも、女性が高い教育を受ける道はありました。ただしそれは大学ではなく、制度の上では「専門学校」に位置づけられた学校でした。

1913年より前の女子高等教育
  • 女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学など)/教員を養成する官立の学校
  • 日本女子大学校(現在の日本女子大学)/「大学校」の名だが制度上は専門学校
  • 私立の女子専門学校/英語・医学・音楽などの分野ごとに設立

つまり「学ぶ場所がなかった」のではなく、大学という枠の中に女性の席がなかったのです。1913年の3人は、その枠の内側へ初めて入った人たちにあたります。だからこそ「日本初の女子大生」と呼ばれます。

なぜ8月16日ではなく8月21日なのか|日付が改まった経緯

女子大生の日を調べると、8月16日と書かれた情報にも出会います。これは古い情報が残っているためで、現在の登録は8月21日です。日付が入れ替わった理由は、もとになった資料の読み方にありました。

長く8月16日とされてきた理由

8月16日は、新聞が「3人の入学許可がまもなく官報に公示される」と報じた日でした。つまり予告記事が出た日であって、入学が正式に記録された日ではありません。

ところが、この報道日が出来事の日付として引用され続けた結果、「女子大生の日=8月16日」という説明が広く定着してしまいました。実際に官報に掲載されたのは、その5日後の8月21日です。

記念日の日付が後から改まるのは珍しいことですが、原典にあたって確かめ直した結果の訂正です。8月16日と書かれた情報を見つけたら、更新されていないものと考えて差し支えありません。

2020年、東北大学の申請で8月21日に登録

日付の誤りに気づいた東北大学は、男女共同参画委員会を通じて一般社団法人日本記念日協会へ申請を行いました。これを受けて2020年(令和2年)、8月21日が「女子大生の日」として正式に登録されています。

登録の年には、東北大学で記念のイベントも開かれました。日本初の女子大生が生まれた大学が、自ら日付を正して記念日にしたという流れになります。

同じように「複数の日付が流通している記念日」はほかにもあります。由来がちがえば日付もちがう、という例として次の記事も参考になります。

日本初の女子大生3人はどんな人だったのか

3人はそろって研究の道に進み、その後の日本の科学に足跡を残しました。「初めて大学に入った」だけで終わらなかったところが、この記念日をより意味のあるものにしています。

名前専攻その後の歩み
黒田チカ化学日本初の女性理学士。天然色素の研究で女性2人目の理学博士に
丹下ウメ化学アメリカ留学を経て、ビタミンの研究で農学博士に
牧田らく数学数学を修めて卒業。のちに洋画家・金山平三と結婚

黒田チカ|日本初の女性理学士、色素の研究者

黒田チカは女子高等師範学校を出たあとに東北帝国大学へ進み、有機化学を専攻しました。1916年(大正5年)に卒業し、日本で初めて理学士となった女性のひとりです。

その後は文部省の留学生としてイギリスのオックスフォード大学で学び、帰国後は紫根や紅花など日本の植物がもつ色素の研究を続けました。1929年(昭和4年)、「紅花の色素カーサミンの研究」によって理学博士の学位を得ています。女性の理学博士としては、1927年の保井コノに次ぐ2人目でした。

理化学研究所でも研究を重ね、玉ねぎの皮やシソなど身近な植物の色素を調べています。後進の女性研究者を支える活動にも力を注ぎました。

丹下ウメ|栄養化学の道へ進み農学博士に

丹下ウメは日本女子大学校を卒業したあと、東北帝国大学へ入学しました。3人のなかでは最年長で、入学時にはすでに40歳前後でした。学びたい気持ちに年齢は関係ない、と示した人でもあります。

卒業後は大学院に進み、さらにアメリカへ留学します。スタンフォード大学やコロンビア大学で学んだのち、ジョンズ・ホプキンス大学で博士号を取得しました。

帰国後は理化学研究所でビタミンの研究に取り組み、1940年(昭和15年)に東京帝国大学から農学博士の学位を得ています。栄養学の分野を切り開いた研究者として知られています。

牧田らく|数学を選んだひとり

牧田らくは3人のなかでただひとり数学を専攻しました。女子高等師範学校を経て東北帝国大学に入り、1916年に黒田チカとともに卒業しています。

卒業後は母校で教壇に立ちました。のちに洋画家の金山平三と結婚し、金山らくとして知られています。研究者としての記録は多く残っていませんが、数学という分野に女性が正規の学生として踏み込んだ最初の一人であることは変わりません。

3人はどうやって入学できたのか|「門戸開放」という決断

3人が入学できた背景には、東北帝国大学が採った「門戸開放」という方針があります。当時の常識に照らせば大胆な決断で、これがなければ日本初の女子大生は別の年、別の大学から生まれていたかもしれません。

東北帝国大学が門を開いた事情

東北帝国大学は1911年(明治44年)に理科大学を開いたばかりの、新しい大学でした。東京や京都の帝国大学に比べると知名度が低く、学生を集めることが課題になっていました。

そこで打ち出されたのが門戸開放です。入学資格を旧制高等学校の卒業者だけに限らず、専門学校の卒業者などにも広げるという方針でした。女性への門が開いたのは、この延長線上にあります。

方針を進めたのは、初代総長の澤柳政太郎(さわやなぎ・まさたろう)でした。学ぶ意志と力があれば受け入れるという考え方が、結果として制度の壁をひとつ動かしたことになります。

古い官報や大正期の新聞を思わせる紙面を、落ち着いた色調で静かに捉えた写真風イメージ

文部省からの問い合わせと当時の反響

この決定に対しては、当時の文部省から「本当に女性の入学を許可するのか」と問いただす文書が届いたと記録されています。前例のない判断だったことが、この一件からもうかがえます。

新聞各紙も大きく取り上げました。歓迎する論調もあれば、女性が大学で学ぶことへの戸惑いを含んだ記事もあり、社会の受け止め方は一様ではありませんでした。

それでも3人は学業を全うし、うち2人は研究者として博士の学位まで進みます。記念日の由来をたどると、制度が変わる瞬間には必ず最初の一歩を踏み出す人がいる、という当たり前のことに行き着きます。

女子大生の日をどう過ごす?8月21日のほかの記念日

女子大生の日には、決まった行事や過ごし方があるわけではありません。8月21日という日付をきっかけに、100年余り前のできごとを思い出してみる。それがいちばん記念日らしい過ごし方かもしれません。

8月21日はほかにもある記念日

8月21日には、由来のはっきりした記念日がいくつも重なっています。並べてみると、明治から昭和にかけての「初めて」が集まった日でもあることが分かります。

記念日由来
噴水の日1877年、上野公園の第1回内国勧業博覧会で日本初の西洋式噴水が公開された
献血の日1964年、輸血用の血液を献血で確保する方針が閣議決定された
パーフェクトの日1970年、プロボウラーの中山律子が女子初のパーフェクトを達成した
バニーの日「バ(8)ニー(21)」の語呂合わせ。8月2日にも同名の記念日がある

なかでもパーフェクトの日は、女子大生の日と同じく「女性の初めて」を記録した日です。ひとつの日付に別々の時代の第一歩が並んでいるところが、カレンダーのおもしろさでもあります。

記念日をきっかけに触れられる資料

3人について詳しく知りたくなったら、東北大学が公開している特設サイト「日本初・女子大生誕生の地」がまとまっています。3人の経歴や当時の資料が整理されており、記念日の背景をたどるのに向いています。

黒田チカと牧田らくについては、出身校であるお茶の水女子大学でも過去に企画展示が行われました。丹下ウメについては日本女子大学が卒業生として紹介しています。それぞれの大学が自校ゆかりの人物として記録を残しているわけです。

展示や企画は年によって内容が変わります。訪ねる予定を立てるときは、各大学の公式サイトで最新の案内を確認してください。

同じ大正時代には、ほかにも「日本の始まり」を刻んだできごとがあります。8月の記念日をあわせて眺めると、時代の空気がつかみやすくなります。

女子大生の日についてよくある質問

女子大生の日は何月何日ですか?

8月21日です。1913年(大正2年)8月21日に、東北帝国大学が3人の女性の入学を許可したことが官報に掲載され、日本初の女子大生が誕生しました。2020年に日本記念日協会へ登録されています。

女子大生の日は8月16日ではないのですか?

8月16日は古い情報です。この日は新聞が「入学許可がまもなく官報に公示される」と報じた日で、実際に官報へ掲載されたのは8月21日でした。この取りちがえが分かったため、東北大学の申請により8月21日として登録し直されています。

日本初の女子大生は誰ですか?

黒田チカ・丹下ウメ・牧田らくの3人です。1913年に東北帝国大学の理科大学へ入学し、黒田チカと丹下ウメは化学を、牧田らくは数学を専攻しました。3人とも卒業後は研究や教育の道に進んでいます。

なぜ東北帝国大学が最初だったのですか?

創設まもない大学で、学生を広く集める必要があったためです。「門戸開放」として旧制高等学校の卒業者以外にも入学資格を広げる方針を採っており、その延長で女性の受験も受け入れられました。方針を進めたのは初代総長の澤柳政太郎です。

1913年より前に女性が学べる学校はなかったのですか?

女子高等師範学校や日本女子大学校などがありました。ただし制度の上ではいずれも「専門学校」の扱いで、大学ではありません。大学という枠に女性が正規の学生として入ったのが1913年で、そのため「日本初の女子大生」と呼ばれます。

8月21日はほかに何の日ですか?

噴水の日、献血の日、パーフェクトの日、バニーの日などがあります。噴水の日は1877年に上野公園で日本初の西洋式噴水が公開されたことに、献血の日は1964年の閣議決定にちなみます。歴史的なできごとに由来する記念日が多い日です。

まとめ

女子大生の日は8月21日です。1913年のこの日、東北帝国大学が黒田チカ・丹下ウメ・牧田らくの3人の入学を認め、日本で初めての女子大生が誕生しました。長く8月16日とされてきましたが、それは新聞が予告を報じた日で、官報に載ったのは8月21日でした。

3人はその後も学問を続け、2人は博士の学位まで進んでいます。記念日の由来をたどると、制度が変わるときには必ず最初に歩き出す人がいることが見えてきます。

8月21日は、女子大生の日。100年余り前に開いた小さな門が、いまの大学のあたりまえにつながっています。

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