「太陰暦って、具体的にどんな暦のこと?」と疑問に思ったことはありませんか。月の満ち欠けをもとにした古い暦、というイメージはあっても、太陽暦や旧暦との違いまで説明するのは少し難しいものです。
じつは日本で「太陰暦」と呼ばれているものは、純粋な太陰暦ではなく「太陰太陽暦」を指していることが多いのをご存じでしょうか。この記事では、太陰暦の基本的な仕組みから、太陽暦・旧暦との違い、そして日本の暦の歴史までをわかりやすく整理してお伝えします。
この記事を読めば、「太陰暦」「太陽暦」「太陰太陽暦」「旧暦」という似た言葉のちがいがスッキリ整理できます。

太陰暦とは?月の満ち欠けで決める暦のこと
太陰暦(たいいんれき)とは、月の満ち欠けの周期を基準にして作られた暦のことです。1ヶ月の長さを、月が地球をひと回りする時間に合わせて決めています。
「太陰」という言葉は、太陽に対する月のことを指す古い呼び方です。つまり太陰暦は、そのまま読むと「月の暦」という意味になります。
太陰暦は、どこかの国で使われた特定の暦の名前ではなく、月の満ち欠けを基準にする暦をまとめて指す言い方です。ユダヤ暦や中国の伝統的な暦も、この数え方を土台に組み立てられてきました。総称なので「太陰暦は何年に作られた」という言い方はできず、地域ごとに始まりも中身も別々に育っています。
太陰暦の基本的な仕組み(新月が1日・満月が15日)
太陰暦では、新月の日をその月の「1日(ついたち)」とします。新月から少しずつ月が満ちていき、月の半ばにあたる15日ごろに満月を迎えるのが大きな特徴です。
そのあとは徐々に月が欠けていき、次の新月が来ると新しい月の始まりとなります。空を見上げるだけで「今日がだいたい何日ごろか」がわかる、とても直感的な暦なのです。

だから昔の人は「十五夜=満月」ってすぐわかったんだね。
まん丸の月が出ていればその月の半ばごろ、月明かりのない暗い夜が続けば月の変わり目が近い、という読み方です。旅の日程や漁に出る日は、こうした見当をもとに決められていました。
では、月の形と日付が切り離された今のカレンダーで、新月や満月の日はどこを見れば分かるのでしょうか。


1年は約354日になる(太陽暦より11日短い)
月が満ち欠けする周期(朔望月/さくぼうげつ)は、平均して約29.5日です。これを12回くり返すと、1年は約354日になります。
30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」として組み合わせることで、うまく調整していました。しかし現在私たちが使っている太陽暦の1年は365日ほどなので、太陰暦は毎年11日ほど短くなってしまう計算です。
朔望月をもう少し細かくみると29.53日ほどで、12回ぶんは354.4日ほどになります。日数は整数でそろえる必要があるため、1年が354日の年と355日の年が混ざります。太陽暦のうるう年ほど規則的ではなく、その年の月の動きに合わせて決まるのが太陰暦の数え方です。
1ヶ月は29日か30日|月の区切りは朔(新月)で決まる
太陰暦のひと月は、29日で終わる月と30日まである月のどちらかになります。1日の基準になる新月の瞬間を「朔(さく)」といい、朔を含む日から次の朔の前日までがその月です。区切りを先に決めてから日数を数えるため、大の月と小の月が交互に並ぶとはかぎりません。
今のカレンダーでは、2月をのぞけば月の日数が毎年変わることはありません。太陰暦ではここが動くので、三月と呼ぶ月が去年は30日まであり今年は29日で終わる、ということが起こります。月末の日付を前もって当てにできない暦だった、と言い換えてもよいでしょう。
「太陰」は月を意味する言葉
「太陰」は、太陽と対をなす言葉として月を表しています。陰陽思想では太陽が「陽」、月が「陰」とされ、ここから「太陰=月」という表現が生まれました。
ちなみに「陰暦(いんれき)」も、ほぼ同じ意味で使われる言葉です。古典や歴史の教科書で「陰暦◯月◯日」と出てきたら、太陰暦のことだと思ってまず問題ありません。
英語では、太陰暦を lunar calendar、太陽暦を solar calendar、太陰太陽暦を lunisolar calendar と書き分けます。海外の資料で暦のしくみを調べるときは、この3語を手がかりにすると目当ての説明にたどりつきやすくなります。
太陰暦と太陽暦の違いをひと目で比較
太陰暦と太陽暦の一番の違いは、「月の動き」と「太陽の動き」どちらを基準にしているか、という点です。さらに、その両方を組み合わせた「太陰太陽暦」という第三の暦もあります。
暦の違いがいちばん見えやすいのは、行事の日付が毎年動くかどうかです。クリスマスが毎年12月25日に決まっているのは太陽暦の上で日取りを決めているからで、月を基準にする暦では行事の西暦の日付が年ごとに動きます。カレンダーの日付が固定かどうかは、その行事がどの暦の上で決められたかを映しているわけです。
まずはそれぞれの特徴を個別にみていき、そのあと3つの暦をまとめて比較していきましょう。
太陽暦(グレゴリオ暦)は太陽の動きが基準
太陽暦は、地球が太陽のまわりを1周する時間(約365.24日)を1年とする暦です。現在の日本や世界の多くの国で使われている「グレゴリオ暦」が代表例にあたります。
季節のうつろいとピッタリ合うのが太陽暦の強みです。4年に1度うるう年を入れることで、1年のズレが積み重ならないように工夫されています。
グレゴリオ暦は、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が定めた暦です。それまでのユリウス暦は1年を365.25日として計算していたため、実際の1年とのわずかな差が千数百年かけて10日ほどのずれになっていました。そこでうるう年の入れ方が見直され、西暦年が100で割り切れる年は平年、400で割り切れる年はうるう年という例外が加えられています。
太陰太陽暦は「月+うるう月」でズレを調整
太陰太陽暦(たいいんたいようれき)は、月の満ち欠けを基準にしつつ、太陽の動きによる季節のズレも調整する暦です。太陰暦だけでは1年が354日と短いため、放っておくと暦と季節がどんどんズレていきます。
そこで太陰太陽暦では、2〜3年に1度「うるう月」を入れて、1年を13ヶ月にする工夫をしています。これにより月の満ち欠けと季節のどちらもうまく反映できる、いわば「いいとこ取り」の暦になっています。
うるう月を入れる間隔には目安があります。19年ぶんの太陽の巡りが235回の満ち欠けとほぼ等しいことから、19年のあいだに7回うるう月を置けば暦と季節のずれが収まる、という関係です。この周期は紀元前433年にこれを見いだしたギリシャの天文学者の名をとってメトン周期と呼ばれ、中国の暦では章法という名前で使われてきました。
どの月にうるう月を入れるか、そもそも何月と呼ぶかは、二十四節気のうち「中気」をどの月が含むかで決まっていました。たとえば冬至を含む月は、必ず11月の「霜月」になります。このしくみと、その年の霜月(旧暦11月)がいつにあたるかは、次の記事で紹介しています。


3つの暦の違い比較表
ここまでの内容を、表で一気に整理してみましょう。
| 暦の種類 | 基準 | 1年の長さ | 季節とのズレ | 代表例 |
|---|---|---|---|---|
| 太陰暦 | 月の満ち欠け | 約354日 | 毎年11日ズレる | イスラム暦(ヒジュラ暦) |
| 太陰太陽暦 | 月+太陽 | 約354〜384日 | うるう月で調整 | 日本の旧暦(天保暦) |
| 太陽暦 | 太陽の動き | 約365日 | うるう年で調整 | グレゴリオ暦(現在の暦) |
表に入れていない区切りがひとつあります。月曜から日曜までの7日の週は、月の満ち欠けとも太陽の動きとも切り離された独立の周期で、どの暦の上にも重ねて使えます。日付の決め方が暦ごとに違っても曜日だけは途切れずに続くのは、このためです。
太陰暦と旧暦は同じ?よくある混同を整理
「太陰暦」と「旧暦」はほぼ同じ意味で使われがちですが、厳密にはイコールではありません。じつは日本で「旧暦」と呼ばれているのは、純粋な太陰暦ではなく「太陰太陽暦」を指しています。
そもそも「旧暦」は、新しい暦ができたあとに生まれた呼び名です。明治の改暦より前は、今の暦と区別する必要がなかったため、暦といえば月の満ち欠けをもとにしたものを指していました。「新暦」と「旧暦」という対の言い方が定着したのは、二つの暦が並ぶようになってからのことです。
ここが多くの人が混乱しやすいポイントです。理由も含めて順番にみていきましょう。
日本の「旧暦」は正確には太陰太陽暦
日本で明治5年まで使われていた暦は、「天保暦(てんぽうれき)」という太陰太陽暦でした。月の満ち欠けで1ヶ月を決めつつ、二十四節気など太陽の動きも取り入れて季節とのズレを調整する、緻密な暦です。
この天保暦のことを、現在の太陽暦(新暦)と区別して「旧暦」と呼んでいます。つまり「日本の旧暦=太陰太陽暦」であって、厳密には「太陰暦」と呼ぶのは正確ではないのです。
天保暦が使われ始めたのは1844年(天保15年)で、高橋至時の子である渋川景佑らが中心になって作りました。明治5年までのおよそ29年間と、江戸時代の暦のなかでは短い期間しか使われていません。その前にも貞享2年(1685年)に渋川春海が日本人の手による暦法を初めてまとめるなど、暦は何度も作り直されてきました。
なぜ「太陰暦」と「旧暦」が混同されるのか
日本で「太陰暦」というと、ほとんどの場合は旧暦(=太陰太陽暦)のことを指して使われます。これは、月の満ち欠けが暦の基本になっているという点で共通しているため、普段の会話では細かく区別されないからです。
そのため、辞書や解説でも「日本における太陰暦は、ふつう太陰太陽暦のことをいう」と説明されることがよくあります。
押さえておきたいポイント:日本で「太陰暦」「旧暦」と呼ばれているものは、純粋な太陰暦ではなく「太陰太陽暦(天保暦)」を指すことがほとんどです。学術的に厳密に区別するときは太陰太陽暦、日常会話では太陰暦や旧暦、と使い分けられていると理解しておくと混乱しません。
純粋な太陰暦の代表例はイスラム暦
うるう月を入れずに、月の満ち欠けだけで暦を作る「純粋な太陰暦」の代表が、イスラム暦(ヒジュラ暦)です。サウジアラビアやアラブ首長国連邦など、イスラム圏の国々で宗教行事の日取りを決めるときに使われています。
ヒジュラ暦は季節とのズレを調整しないため、同じ月でも年によって夏だったり冬だったりと、毎年約11日ずつ季節がズレていくのが特徴です。こうしてみると、同じ「太陰暦」でも日本と世界では使われ方がかなり違うことがわかります。
ヒジュラ暦の元年は西暦622年にあたり、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ移った出来事(ヒジュラ)を起点としています。ずれは積み重なってもリセットされないため、およそ33年で暦がひと回りし、それぞれの月がふたたび元の季節に戻ってきます。断食月として知られるラマダーンが夏に来る年も冬に来る年もあるのは、この仕組みによるものです。


太陰暦から太陽暦へ―日本の暦が変わった理由
日本が現在のような太陽暦を使い始めたのは、明治時代のことです。それまでは長いあいだ太陰太陽暦(旧暦)が使われていましたが、わずか1ヶ月足らずの短い予告で新しい暦に切り替えられました。
祭りの日取りも、証文や商いの期日も、当時の暮らしはすべて暦の上に乗っていました。暦を変えるのは、その約束ごとの土台を国じゅうで一斉に差し替える作業でもあります。このとき改められたのは日付だけではなく、時刻の数え方も、季節によって一刻の長さが伸び縮みする不定時法から、1日を24時間に等分する定時法へ切り替わっています。
なぜ急に暦を変えることになったのか、当時の背景とあわせて見ていきましょう。
明治6年に太陽暦(新暦)に切り替わった
日本が太陽暦(グレゴリオ暦)を採用したのは、明治6年(1873年)1月1日のことです。明治政府は明治5年11月に改暦を発表し、12月2日の翌日を明治6年1月1日とする、という思い切った切り替えを行いました。
つまり明治5年12月は2日までしかなく、その翌日にはもう翌年のお正月を迎える、という異例のカレンダーになったわけです。
変わったのは月日の決め方で、年の呼び方には手が入っていません。改暦をはさんでも元号は明治のままで、明治5年の次はふつうに明治6年と数えます。暦が新しくなったことと、年をどう呼ぶかは、別々に決められていた話なのです。
改暦の背景と当時の混乱
改暦のおもな理由は、欧米諸国と暦を揃えて国際的なやりとりをスムーズにすること、そして政府の財政事情の2つです。当時は役人の給料を月給制にしたばかりで、旧暦のままだと翌年(明治6年)にはうるう6月があり、13ヶ月分の給料を払う必要がありました。
太陽暦に切り替えれば1年は12ヶ月に固定され、財政負担も軽くなります。とはいえ、庶民にとっては季節の感覚が一気にズレる大改革で、当時はかなりの混乱もあった出来事でした。



いきなり「今日からお正月です」って言われても、困っちゃうよね…。
今も残る太陰暦の名残
日本の暦は太陽暦に切り替わりましたが、生活のなかには今も旧暦(太陰太陽暦)の名残がたくさん残っています。代表的なものをいくつか挙げてみましょう。
- お月見(十五夜・十三夜)…月の満ち欠けが基準
- 七夕…もともとは旧暦7月7日の行事
- 旧正月…アジア圏では今も旧暦で祝う地域が多い
- 和風月名(睦月・如月・弥生など)…旧暦に由来
- 二十四節気(立春・夏至・冬至など)…太陽の動きと旧暦の両方を感じる目安
こうしてみると、普段なんとなく使っている季節の言葉の多くが、旧暦と深くつながっていることに気づきます。


カレンダーの日付の下に小さく刷られた大安や仏滅も、たどっていくと旧暦の月日に行き当たります。手帳でこの文字が気になったことがあるなら、読み方と順番をまとめたこちらが手がかりになります。


ついたち・みそか・つごもり|太陰暦から生まれた日付の言葉
月の初めの日を「ついたち」と読むのは、「月立ち(つきたち)」が変化した形だからです。ここでの「立つ」は現れるという意味で、新しい月が姿を見せる日がそのまま日付の名前になりました。漢字で「朔日」と書くのも、朔が新月をあらわす字だからです。
月の終わりのほうは「つごもり」といいます。もとは「月隠り(つきごもり)」で、月が細くなって見えなくなる時期が月末にあたることから生まれた言い方です。1年の最後の月末である「大晦日」に「おおつごもり」という読みが残っているのも、この流れをくんでいます。
「みそか」は三十日と書きます。数字のとおり30日目を指す言葉でしたが、29日で終わる月もあるため、日数にかかわらず月の最終日を「みそか」と呼ぶようになりました。年越しそばを「みそかそば」、関西で「つごもりそば」と呼ぶ言い方にも、月の数え方が残っています。
暦から生まれた言葉は、日付の呼び方にとどまりません。月の形ごとに和の名前が伝わっているのは、月を眺めること自体が季節の楽しみとして続いてきたからです。


太陰暦に関するよくある質問
- 太陰暦は今も世界で使われているの?
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はい、使われています。代表例はイスラム暦(ヒジュラ暦)で、サウジアラビアやインドネシアなどで宗教行事の日取りを決めるときに用いられています。ただし日常生活では、グレゴリオ暦と併用している国がほとんどです。
- 太陰暦の月名や一覧が知りたい
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日本で使われていた旧暦(太陰太陽暦)の月名は、睦月・如月・弥生・卯月…と続く「和風月名」としてよく知られています。月ごとの意味や由来は別記事で詳しく紹介しているので、あわせてチェックしてみてください。
- 旧暦の日付を今の暦に変換するには?
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国立天文台の「暦計算室」などで、西暦と旧暦の相互変換を調べることができます。お月見や七夕など、旧暦ベースの行事を昔の日付で味わいたいときに便利です。
- 太陰暦と太陰太陽暦、どっちが正しい呼び方?
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厳密には別の暦ですが、日本で「太陰暦」というときは多くの場合「太陰太陽暦(旧暦)」を指しています。学術的な文脈以外では、細かく言い分けなくても会話として伝わります。
- 英語の month が moon と同じ語源というのは本当?
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本当です。month は古英語の mōnaþ にさかのぼる語で、天体の月をあらわす mōna と同じ言葉から枝分かれしています。古英語の時代には「新月から次の新月まで」という意味でも使われていて、月を数えて時を区切る発想が言葉のうえにも刻まれていることがわかります。
まとめ:太陰暦は月の動きが教えてくれる季節の暦
最後にこの記事のポイントを整理しておきましょう。
- 太陰暦は、月の満ち欠けを基準にした暦で1年は約354日
- 太陽暦は太陽の動きが基準で、現在のグレゴリオ暦もこの仲間
- 太陰太陽暦は、月と太陽の動きを組み合わせた「いいとこ取り」の暦
- 日本の「旧暦」は、厳密には太陰暦ではなく太陰太陽暦(天保暦)のこと
- 明治6年に日本は太陰太陽暦から太陽暦に切り替わった
- お月見や和風月名など、暮らしの中には今も旧暦の名残がたくさんある
- 純粋な太陰暦は季節とずれていく暦で、その代表がイスラム暦(ヒジュラ暦)
- 「ついたち」「みそか」「大晦日」といった日付の言葉も、月の満ち欠けの数え方から生まれた
「太陰暦」と聞いたら、まず思い出したいのは月の満ち欠け。そして日本では、その太陰暦に太陽の動きを加えた「太陰太陽暦=旧暦」が長く暮らしを支えてきた、ということです。
夜空に浮かぶ月を眺めながら、「昔の人はこの月の形でカレンダーをつくっていたんだな」と思いを馳せてみるのも素敵ですね。暦を知ることは、日本の季節や文化をもっと深く味わうきっかけになります。




















