ミニスカートの日は10月18日|由来は1967年ツイッギー来日

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カレンダーで「10月18日はミニスカートの日」と見かけて、どうしてこの日なのか気になった方もいるのではないでしょうか。秋も深まるこの時期に、夏らしい印象のミニスカートの記念日があるのは少し意外に感じられるかもしれません。

この記事では、ミニスカートの日の日付と由来になった出来事、ロンドンとパリで語られる発祥の話、日本でミニスカートが広まった歩みをまとめました。秋にミニスカートを楽しむときの合わせ方や、この日の過ごし方も紹介します。

ミニスカートの日は毎年10月18日で、2026年は日曜日です。1967年のこの日、「ミニの女王」と呼ばれた英国のモデル・ツイッギーが来日し、日本にミニスカートのブームが広がったことにちなんでいます。

目次

ミニスカートの日は毎年10月18日|2026年は日曜日

ミニスカートの日は毎年10月18日です。2026年の10月18日は日曜日にあたります。国民の祝日ではないので、この日が平日であれば学校や会社はふだんどおりです。

ここでは、まず日付の決まり方と今後の曜日を確認し、そのあとで「誰がこの記念日を定めたのか」という点を整理します。先に押さえておきたいのは、ミニスカートの日は記念日を紹介する事典やサイトで広く取り上げられている一方、制定した団体や年がはっきり示されていない記念日だということです。

日付が動かない固定の記念日

ミニスカートの日は「10月の第○日曜日」のような決め方ではなく、出来事が起きた日付そのものを記念日にしています。そのため、年によって日付が変わることはありません。曜日は1年ごとに1つずつ、うるう年の2月29日をまたぐ年は2つずれていきます。

年日付曜日
2026年10月18日日曜日
2027年10月18日月曜日
2028年10月18日水曜日

10月18日は二十四節気の寒露(かんろ)の終わりごろにあたり、朝晩の冷え込みが増してくる時期です。2026年は10月23日から霜降(そうこう)に入ります。ミニスカートの記念日でありながら、季節としては厚手のタイツやブーツが恋しくなるころだと覚えておくと、後半で紹介する楽しみ方にもつながります。

誰が定めた記念日?制定団体がはっきりしない理由

記念日の中には、企業や団体が日本記念日協会に申請して登録したものが多くあります。ところがミニスカートの日については、登録した団体や制定された年を示す資料は確認できませんでした。記念日を紹介するサイトでも、「ツイッギーが来日し、ミニスカートのブームが起きた日」という由来の説明にとどまっています。

こうした記念日は、特定の団体が決めたというより、出来事の日付が「この日は何の日」として語り継がれるうちに定着したものと考えられます。そのため、どこかが主催する公式行事やキャンペーンがあるわけではありません。ファッションの歴史をふり返るきっかけの日として、気軽に受け止めるのがよいでしょう。

由来は1967年10月18日のツイッギー来日

ミニスカートの日の由来は、1967年(昭和42年)10月18日に、イギリスのモデル・ツイッギーが羽田空港に降り立ったことです。彼女の来日をきっかけに、日本でミニスカートが一気に注目を集めたことから、この日が記念日として扱われるようになりました。

以下では、ツイッギーがどんな人物だったのか、来日したときに何が話題になったのか、そして約3週間の滞在で何をしたのかを順に見ていきます。意外なことに、空港に到着したときの服装はミニスカートではなかったという記録もあり、その点も含めて紹介します。

「ミニの女王」ツイッギーとは

ツイッギーは1949年9月19日、ロンドン生まれのモデルです。本名はレズリー・ホーンビー(Lesley Hornby)といいます。とても細い体つきから、英語で「小枝」を意味する「ツイッギー(Twiggy)」という愛称で呼ばれるようになりました。

16歳でモデルとしてデビューすると、短く切りそろえたショートヘアと、大きな目を強調したまつげのメイクで一躍人気者になりました。マリー・クワントのミニスカートを着こなす姿から「ミニの女王」と呼ばれ、1960年代のロンドンの若者文化を象徴する存在になります。のちには女優としても活動し、映画『ボーイフレンド』(1971年)ではゴールデングローブ賞を受賞しました。

羽田にはミニで現れなかった?翌日の会見で見せた膝上丈

来日したとき、ツイッギーは18歳でした。前年の1966年に来日したビートルズにも並ぶほどの熱狂で迎えられたと伝えられています。ところが、羽田空港に到着したときの服装はミニスカートではなく、ひざ下丈のキュロットスカート姿だったと当時の記録は伝えています。

人々が待ち望んだミニスカート姿が披露されたのは、翌19日の記者会見でした。ひざ上の短いドレスで登場した彼女に、報道陣はどよめいたといいます。このときの丈は「ひざ上20センチ」「ひざ上30センチ」など資料によって書き方が異なり、正確な長さは定まっていません。いずれにしても、当時の日本では見慣れない短さだったことは確かで、この会見の写真や映像がミニスカートの印象を全国に広めました。

繊維会社の招待と約3週間の滞在

ツイッギーを日本に招いたのは、合成繊維メーカーの東洋レーヨン(現在の東レ)でした。企画の中心になったのは、同社の宣伝部長だった遠入昇(えんにゅう・のぼる)です。トヨタ自動車販売と森永製菓も加わった合同の招待だったとする資料もあります。新しい合成繊維を使った衣料を広めたい繊維会社にとって、若者に人気のミニスカートは格好の題材だったと考えられます。

滞在はおよそ3週間で、大阪を皮切りに名古屋、東京でファッションショーが開かれました。東京の日本武道館でのショーには8,500人が集まり、当時流行していたグループサウンズの音楽に合わせて行われたといいます。森永のチョコフレークやトヨタのコロナのCMにも起用され、テレビを通じてもその姿が繰り返し映し出されました。ツイッギーが日本を離れたのは11月8日です。

1960年代のレトロな雰囲気の空港ロビーを思わせる静物。木製のベンチの上に、丸みのある小さな旅行かばんと、ひざ上丈のAラインのミニスカートが掛かったハンガーが置かれている

ミニスカートはどこで生まれた?ロンドンとパリの起源

ミニスカートは、1960年代初めのロンドンで若者たちのあいだから広まり、イギリスのデザイナー、マリー・クワントが商品として売り出したことで世界に知られるようになった、という説明が一般的です。一方で、パリのデザイナーがいち早くミニ丈を発表したことから、「起源はパリだ」とする見方もあります。

ここでは、ロンドン側の主役であるマリー・クワントと、パリ側で名前の挙がるアンドレ・クレージュの2人に分けて、それぞれの立場を紹介します。どちらか一方が正解というより、ロンドンの街で生まれた流行をパリのモードが取り入れ、両方の発信によって世界に広まったと捉えると、話が整理しやすくなります。

マリー・クワントとロンドンの若者文化

マリー・クワントは、ロンドンのチェルシー地区、キングス・ロードにブティック「バザー(Bazaar)」を開き、若い女性向けの動きやすい服を次々と発表したデザイナーです。1950年代の終わりごろからスカートの丈を少しずつ短くし、1960年代半ばにはひざ上の短いスカートを売り出しました。

当時のロンドンは、音楽やファッションで若者文化が花開いた「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれる時代でした。親の世代とは違う服を着たいという若者の気分に、短い丈のスカートはぴったり合っていたのです。「ミニ」という名前については、クワント自身が好きだった小型車「ミニ」にちなんだと語ったとする紹介もあります。

クレージュのパリコレ発表と「起源はどちらか」の見方

パリでは、フランスのデザイナー、アンドレ・クレージュが1964〜1965年ごろのコレクションでひざ上丈のスカートを発表し、大きな話題になりました。オートクチュール(高級注文服)の世界でミニ丈が取り上げられたことで、ミニスカートは若者の流行から、世界のファッションの主流へと押し上げられていきます。

このため、ロンドン側は「起源は自分たち」と考え、パリ側は「ロンドンにとどまっていた流行を世界に広めたのはパリ」と考える、という解釈の違いが生まれました。日本でミニスカートの由来を説明するときには、街で生まれて商品にしたのがロンドンのクワント、モードとして世界に広めたのがパリのクレージュ、と両方を挙げておくのが無難です。

日本のミニスカートの歩み|1965年の国産第1号から

日本でミニスカートが知られるようになったのは、ツイッギーの来日より少し前のことです。1965年には国産のミニスカートがすでに発売されており、1967年の来日はそれを一気に広める決定打になったと捉えられます。そして1970年代に入ると、流行の中心は長い丈のスカートへ移っていきました。

ここでは、国産第1号の発売、1967年のブームの広がり、1970年代以降の丈の移り変わりという3つの段階に分けて、日本のミニスカートの歩みをたどります。全体の流れは次の表のとおりです。

年出来事
1960年代初めロンドンで短い丈のスカートが若者に広まる
1964〜1965年ごろパリでクレージュがミニ丈を発表
1965年帝人が国産初のミニスカート「テイジンエル」を発売
1967年10月18日ツイッギーが来日し、日本でミニスカートのブームが広がる
1970年代初め丈の長いマキシ・スカートやミディ・スカートが流行

1965年、帝人「テイジンエル」の発売

日本で初めてのミニスカートとされるのが、1965年(昭和40年)に繊維メーカーの帝人が発売した「テイジンエル」です。ポリエステルなどの合成繊維が衣料に広く使われはじめた時期で、繊維会社は新しい素材を使った流行の服を世に出すことに力を入れていました。

ただ、発売当初のミニスカートは、まだ一部のおしゃれに敏感な人たちのものでした。ひざを出す服装に抵抗を感じる人も多く、街なかで誰もが着るほどには広まっていなかったのです。その流れを変えたのが、2年後のツイッギーの来日でした。ツイッギーを招いた東洋レーヨンも、帝人と並ぶ合成繊維の大手メーカーです。

1967年のブームが広がるまで

1967年は、日本が高度経済成長のただ中にあった時期です。前年にはビートルズが来日し、若者向けの音楽やファッションがテレビや雑誌を通じて急速に広まっていました。そこへ「ミニの女王」本人がやってきて、記者会見やファッションショー、テレビCMで繰り返しその姿を見せたことで、ミニスカートは一気に身近なものになりました。

来日のあと、ミニスカートは若い女性を中心に街へ広がり、1960年代の終わりにはスカートの流行の中心になりました。繊維会社が流行を後押しし、テレビという新しいメディアがそれを全国に届けたという意味で、ツイッギーの来日は、企業の宣伝とメディアが一体になって流行をつくった早い例のひとつといえます。

70年代はマキシ・ミディへ|流行はくり返す

ブームは長くは続きませんでした。東京都の資料では、1970年代に入って女性のスカート丈は、1960年代終わりのミニスカートから一転して丈の長いマキシ・スカートに変わり、1971年ごろにはミディ・スカートやホットパンツなども登場して、さまざまな丈が混在する時代になったと説明されています。

その後もミニ丈は、時代ごとに形を変えて何度も流行してきました。なお、「景気がよい時代にはスカートの丈が短くなる」という話を聞くことがありますが、これは俗説です。ミニスカートの流行が高度経済成長期やバブル期と重なったことから語られるようになったもので、学術的に裏付けられた法則とはいえません。

日本で初めて女性が大学に入学した日も、記念日として残っています。女性の暮らしや装いの歴史に関心のある方は、8月21日の女子大生の日もあわせてどうぞ。

ミニスカートの日の楽しみ方

ミニスカートの日に決まった行事はありません。ただ、ファッションの歴史が詰まった日なので、服選びを楽しんだり、昔の流行を家族で話題にしたりするきっかけにぴったりです。10月半ばは気温が下がりはじめる時期なので、ミニスカートを着るなら季節に合わせた工夫が欠かせません。

ここでは、秋にミニスカートを楽しむときの合わせ方、家族のアルバムを使った話題づくり、1960年代の文化にふれる過ごし方の3つを紹介します。ミニスカートを着ない方でも楽しめる内容にしているので、気になるものから取り入れてみてください。

(1) 秋のミニは「重ね着」で季節に合わせる

10月のミニスカートは、脚元とアウターで季節感を出すのがコツです。素肌のままだと夏の印象が強く、朝晩は冷えも気になります。厚手のタイツやニットのレギンスを合わせれば寒さを和らげられ、色を黒や茶、深い緑などの秋らしい色にそろえると、全体が落ち着いた雰囲気にまとまります。

  • 脚元:厚手のタイツ、ショートブーツやロングブーツ、ローファーと厚手の靴下
  • 上半身:ざっくりしたニット、ジャケット、ひざ丈を隠すくらいの長めのコート
  • 素材:ウールやコーデュロイ、ツイードなど、秋冬らしい生地のスカートを選ぶ

丈の長いコートとミニスカートを組み合わせると、肌の見える面積が減り、大人でも取り入れやすくなります。職場や学校など、場所によっては服装の決まりがあるので、着ていく先に合わせて選んでください。

(2) 家族のアルバムで昔のファッションを話題にする

1967年のブームを実際に見てきた世代は、今では70代から80代になっています。祖父母や親の若いころの写真を見返すと、ミニスカートやパンタロン、ベルボトムなど、その時代の流行がそのまま残っていることがあります。「この服はいつごろ流行っていたの」と尋ねるだけで、当時の街の様子や暮らしの話に広がることも少なくありません。

写真に写っている服装の年代を、この記事の年表と照らし合わせてみるのもおもしろいでしょう。古い写真はスマートフォンで撮影しておくと、色あせる前に残せるうえ、離れて暮らす家族とも共有できます。記念日をきっかけに、家族の歴史を少し整理しておくのもよい過ごし方です。

(3) 1960年代のカルチャーにふれる

ミニスカートが生まれた1960年代のロンドンは、ビートルズをはじめとする音楽、ポップなデザインのポスターや雑貨など、今も人気の高い文化が数多く生まれた時代です。当時の音楽を聴いたり、写真集や映画で街の様子を眺めたりすると、ミニスカートがなぜ若者の心をつかんだのかが実感しやすくなります。

2022年には、マリー・クワントの歩みを追ったドキュメンタリー映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』が日本でも公開されました。配信サービスなどで見られる場合もあるので、探してみるとよいでしょう。日曜日にあたる2026年のミニスカートの日は、こうした作品をゆっくり楽しむのにも向いています。

秋の室内の静物。木のテーブルの上に、黒のタイツ、茶色のショートブーツ、ウールのチェック柄のミニスカートが畳んで並べられ、横に色あせたモノクロ写真が数枚置かれている

ミニスカートの日のよくある質問

ミニスカートの日はいつですか?

毎年10月18日です。日付で決まっている記念日なので、年によって動くことはありません。2026年は日曜日、2027年は月曜日にあたります。

なぜ10月18日がミニスカートの日なのですか?

1967年10月18日に、「ミニの女王」と呼ばれた英国のモデル・ツイッギーが羽田空港に到着し、その来日をきっかけに日本でミニスカートのブームが広がったためです。

ミニスカートを考案したのは誰ですか?

イギリスのデザイナー、マリー・クワントが商品として広めた人物として知られています。一方で、フランスのアンドレ・クレージュがパリのコレクションで早くからミニ丈を発表しており、起源をめぐっては見方が分かれています。

日本で最初のミニスカートはいつ発売されましたか?

1965年に帝人が発売した「テイジンエル」が、国産初のミニスカートとされています。ツイッギーの来日より2年早く、来日によってそれが一気に広まりました。

10月18日はほかに何の日ですか?

統計の日や冷凍食品の日などがあります。統計の日は、日本で最初の近代的な生産統計「府県物産表」に関する太政官布告が出された明治3年(1870年)9月24日を太陽暦に直した日、冷凍食品の日は10月の「凍(とう)」と、冷凍食品の保存温度の目安であるマイナス18℃にちなむ日です。

まとめ

ミニスカートの日は毎年10月18日で、2026年は日曜日です。1967年のこの日に「ミニの女王」ツイッギーが来日し、記者会見やファッションショー、テレビCMを通じて、日本にミニスカートのブームが広がったことに由来します。制定した団体ははっきりしておらず、出来事の日付が語り継がれて定着した記念日です。

ミニスカートはロンドンの若者文化から生まれ、マリー・クワントが商品にし、パリのクレージュがモードとして広めました。日本では1965年に国産品が登場し、1967年の来日で一気に浸透したのち、1970年代には丈の長いスカートへと流行が移っていきます。

ミニスカートの日は、ファッションの移り変わりをふり返るきっかけの日です。秋らしい重ね着でミニスカートを楽しんだり、家族の古い写真を見返したりと、気軽に取り入れてみてください。

10月18日の前日、10月17日は貯蓄の日です。10月の行事をまとめて知りたい方は、こちらもあわせてご覧ください。

翌日の10月19日は海外旅行の日です。日本で観光目的の海外旅行が自由化されたのは1964年で、ツイッギーが来日した1960年代は、日本人にとっても海外がぐっと近くなった時代でした。由来と海外旅行の歩みはこちらでまとめています。

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