江戸の三大祭りとは?神田祭・山王祭・深川祭を解説

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「江戸の三大祭り」と聞いて、すぐに3つの名前が出てくる人は意外と少ないかもしれません。浅草の三社祭を思い浮かべた方もいるのではないでしょうか。

実は、一般に江戸の三大祭りとして数えられるのは神田祭・山王祭・深川八幡祭りの3つです。三社祭は入らない、というのが定説になっています。

この記事では、3つの祭りがどんなお祭りなのかを整理したうえで、「なぜ三社祭は入らないのか」という疑問にもお答えします。開催サイクルの仕組みまで知れば、次に見に行く年の見当もつくはずです。

目次

江戸の三大祭りとは?結論は「神田祭・山王祭・深川八幡祭り」

江戸の三大祭りとは、神田明神の神田祭、日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川八幡祭りの3つを指します。いずれも江戸時代から続く、東京を代表するお祭りです。

この3つは単に規模が大きいだけではありません。江戸という都市の成り立ちそのものと深く結びついています。神田祭と山王祭は将軍がご覧になる特別な祭りとして格式を誇り、深川八幡祭りは町の人々の熱気を一身に集めてきました。

三つをまとめた有名な言葉「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」

江戸っ子は、この3つの祭りの特徴を短い言葉で言い表しました。それが「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」という一節です。

深川は神輿(みこし)、神田は山車(だし)、そして山王祭は行列の規模が桁違いに大きい。それぞれの持ち味が、たった一行に凝縮されています。この言葉を覚えておけば、3つの祭りの個性がすんなり頭に入ってくるでしょう。

語呂がいいので、三大祭りを覚えるときの合言葉にぴったりですね。

3祭ひとめ比較表(神社・場所・時期・特徴)

まずは全体像をつかんでおきましょう。3つの祭りを並べると、性格の違いがはっきり見えてきます。

祭りの名前神社場所時期特徴
神田祭神田明神千代田区(神田・日本橋ほか)5月山車と神輿宮入。天下祭
山王祭日枝神社千代田区(赤坂・永田町ほか)6月王朝装束の大行列。天下祭
深川八幡祭り富岡八幡宮江東区(深川)8月神輿連合渡御と水掛け

神田祭と山王祭は千代田区、深川八幡祭りは江東区で行われます。開催時期も5月・6月・8月とばらけているため、その気になれば1年で3つとも見られます(ただし後述する開催サイクルの条件はあります)。

神田祭|「天下祭」と呼ばれた江戸っ子の祭り

神田祭は、神田明神を氏神とする108の氏子町が総出で盛り上げる、下町の心意気そのもののような祭りです。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内といった、いまの東京の中心部が舞台になります。

神田明神の社殿と参道のイメージ

神田明神と徳川将軍家のつながり

神田明神は、天平年間(8世紀)の創建と伝えられる古い神社です。江戸時代に入ると、江戸城の鬼門を守る位置にあることから、徳川幕府によって江戸総鎮守と位置づけられました。

そして神田祭は、将軍が城内でその行列をご覧になる「天下祭」となります。将軍の上覧を受けるというのは、当時としては最高の栄誉でした。祭りの格式が、そのまま町の誇りだったわけです。

見どころ:神幸祭と神輿宮入

神田祭の見どころは大きく2つに分かれます。ひとつは、平安装束をまとった行列が氏子町を巡る「神幸祭(しんこうさい)」。もうひとつが、各町の神輿が次々と神田明神へ入っていく「神輿宮入(みこしみやいり)」です。

神輿宮入の日には、100基前後の町神輿が坂を上って境内になだれ込みます。担ぎ手の掛け声と鈴の音が石畳に反響し、境内は熱気に包まれます。

山王祭|将軍が上覧した江戸城内へ入る祭り

山王祭も神田祭と並ぶ天下祭です。ただし性格はやや異なり、こちらは王朝風の雅(みやび)な行列が最大の見どころになります。

日枝神社と太田道灌・徳川家

日枝神社の起源には諸説あり、はっきりとは分かっていません。ただ、江戸幕府が開かれる以前、太田道灌が文明年間(15世紀)に江戸を守る神として祀ったことが伝えられています。

その後、三代将軍・徳川家光の時代以降、御神輿が江戸城内に入り、歴代の将軍が上覧して拝礼するようになりました。神社の神輿が城の中に入るというのは、破格の扱いです。山王祭の名は、これによって江戸だけでなく全国に知られていきました。

見どころ:神幸祭の王朝装束行列

山王祭の中心は、本祭の年に行われる「神幸祭」です。500人規模の行列が、王朝装束に身を包んで皇居周辺から日本橋、京橋あたりまで、約9時間かけて都心を巡幸します。

高層ビルの谷間を、鳳輦(ほうれん)と山車がゆっくり進んでいく。この現代と江戸が重なる光景こそ、山王祭ならではの魅力といえるでしょう。

「天下祭」とは

将軍が江戸城内でその行列を上覧した祭りのことです。神田祭と山王祭の2つがこう呼ばれました。

幕府の権威と結びついた祭りであり、町人にとっても「自分たちの祭りが天下の祭りである」という誇りの源になっていました。

深川八幡祭り|「水掛け祭り」の異名を持つ町民の祭り

3つ目の深川八幡祭りは、天下祭の2つとは対照的に、町の人々の祭りとしての性格が濃いお祭りです。正式には富岡八幡宮の例大祭にあたります。

神輿に清めの水が浴びせられる祭りの熱気あるイメージ

富岡八幡宮と徳川家光の時代

富岡八幡宮は寛永年間(17世紀)に創建されました。例大祭のはじまりは、寛永19年(1642年)にさかのぼります。三代将軍・徳川家光の長男(のちの四代将軍・家綱)の成長を祈って行われたことが起源とされています。

神田祭・山王祭が「将軍が見る祭り」だったのに対し、深川八幡祭りは「将軍家の慶事を町が祝った祭り」から始まりました。同じ江戸の祭りでも、成り立ちが少しずつ違うのが面白いところです。

見どころ:53基の神輿連合渡御と清めの水

深川八幡祭りの名物は、なんといっても神輿の連合渡御です。本祭りの年には53基もの大神輿が勢揃いし、深川の町を練り歩きます。町神輿は大小あわせると120基を超えるとされ、その数だけでも圧倒されます。

そして、この祭りが「水掛け祭り」と呼ばれる理由。それは、沿道の人々が神輿と担ぎ手に向かって、清めの水を勢いよく浴びせるからです。「わっしょい、わっしょい」の掛け声と水しぶきが、真夏の深川を包み込みます。

担ぎ手も見物客もびしょ濡れになる。この一体感こそが、深川八幡祭りが「町民の祭り」と呼ばれるゆえんです。

三社祭は江戸三大祭りに入る?諸説を整理する

ここが多くの人がつまずくポイントです。結論から言えば、三社祭を3つ目に数える説も確かに存在します。ただし現在は、深川八幡祭りを入れる説の方が一般的です。

「深川八幡祭説」と「三社祭説」がある理由

神田祭と山王祭が三大祭りに入ることには、ほぼ異論がありません。天下祭という別格の位置づけがあるからです。問題は残りの1枠でした。

三社祭は浅草神社の祭礼で、こちらも江戸を代表する大きな祭りです。始まりは鎌倉時代の正和年間(14世紀)とされ、歴史では深川八幡祭りより古いことになります。町人の祭りとしての熱気も引けを取りません。

ではなぜ深川八幡祭りが定説なのか。ひとつには、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」という江戸の言い回しが古くから広まっていたことが挙げられます。この一節がセットで語り継がれたことで、3つの組み合わせが固定していったと考えられます。

三社祭が入る説も間違いではないんですね。「一般には深川八幡祭り」と覚えておけばよさそうです。

根津権現祭・鳥越祭を挙げる説も

実は候補は三社祭だけではありません。文献によっては、根津神社の根津権現祭や、鳥越神社の鳥越祭を三大祭りに数えるものもあります。

根津権現祭はかつて天下祭に準じる格式を持ち、鳥越祭は千貫神輿と呼ばれる巨大な神輿で知られます。どちらも江戸の祭り文化を語るうえで欠かせない存在です。

三大祭りの「異説」を整理すると

神田祭と山王祭は、どの説でも確定枠。争点は「3つ目」だけです。

  • 深川八幡祭り … 最も一般的な説
  • 三社祭 … 次によく知られた説
  • 根津権現祭・鳥越祭 … 文献に見られる異説

「三大○○」は時代や語り手によって顔ぶれが変わるもの。唯一の正解を探すより、諸説あること自体を知っておくのが正解に近いといえます。

江戸の三大祭りはいつ?開催サイクルの仕組み

3つの祭りは毎年同じ規模で行われるわけではありません。ここを知らないと、「せっかく行ったのに神輿が出ていなかった」ということになりかねません。

神田祭と山王祭は隔年で交互(本祭・陰祭)

神田祭と山王祭は、大規模な「本祭」を1年おきに交互に行っています。神田祭が本祭の年は山王祭が小規模になり、翌年はその逆になる仕組みです。

この慣習は江戸時代にさかのぼります。天和元年(1681年)、毎年大規模な祭りを行うのは負担が大きいという理由から、両者が隔年で本祭を行うことになりました。300年以上前の取り決めが、いまも生きているわけです。

神田祭は奇数年が本祭、偶数年は神事を中心とした「陰祭(かげまつり)」になります。陰祭の年でも例大祭や奉納芸能は行われますが、大行列や大規模な神輿宮入は本祭の年まで待つことになります。

深川八幡祭りは3年に一度の本祭り

深川八幡祭りは毎年8月15日を中心に行われますが、こちらは3年に一度が本祭りです。富岡八幡宮の御鳳輦が渡御し、53基の神輿による連合渡御が見られるのは、この本祭りの年だけになります。

お出かけの前には、必ず各神社の公式サイトで本祭かどうか、日程はいつかを確認してください。年によって内容も交通規制も大きく変わります。

よくある質問

江戸の三大祭りと日本三大祭りは違うのですか?

別のくくりです。日本三大祭りは一般に、京都の祇園祭・大阪の天神祭・東京の神田祭を指すことが多いとされます。神田祭だけが両方に名を連ねる形になります。

3つの祭りを1年ですべて見ることはできますか?

開催月は5月・6月・8月と分かれているため、日程上は可能です。ただし神田祭と山王祭は隔年で本祭が入れ替わり、深川八幡祭りは3年に一度が本祭りです。3つとも最大規模で見られる年はかなり限られます。

「天下祭」とはどの祭りのことですか?

神田祭と山王祭の2つを指します。将軍が江戸城内で行列を上覧したことに由来する呼び名です。

深川八幡祭りが「水掛け祭り」と呼ばれるのはなぜですか?

沿道の観客が神輿や担ぎ手に清めの水を浴びせるためです。真夏の祭りらしい、深川ならではの光景になっています。

まとめ|江戸の三大祭りを覚えるコツ

江戸の三大祭りは、神田祭・山王祭・深川八幡祭りの3つ。神田と山王が将軍ゆかりの「天下祭」、深川が町民の熱気あふれる「水掛け祭り」と押さえておけば、それぞれの性格まで一緒に覚えられます。

そして「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」。この一節さえ頭に入れておけば、3つの名前も特徴も一度に思い出せるはずです。

江戸の三大祭りは神田祭・山王祭・深川八幡祭り。3つ目には三社祭を挙げる説もありますが、一般には深川八幡祭りが数えられます。

同じ「三大祭り」でも、地域が変われば顔ぶれも雰囲気もがらりと変わります。京都や東北の三大祭りと見比べてみると、日本の祭り文化の奥行きがいっそう感じられるでしょう。

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