サツマイモの日は10月13日|由来は「十三里」と江戸の焼き芋

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「10月13日はサツマイモの日」と聞いて、なぜ13日なのかと不思議に思った方もいるのではないでしょうか。秋の味覚の代表とはいえ、日付と芋のつながりはすぐには見えてきません。手がかりは、江戸の人々が焼き芋につけた「十三里」という呼び名にあります。

この記事では、サツマイモの日の日付と制定の経緯、「十三里」に込められた2つの説、川越が芋の名産地として知られるようになった背景を整理しました。さつまいもが日本に広まるまでの歩みや、当日の楽しみ方もあわせて紹介します。

サツマイモの日は毎年10月13日です。埼玉県川越市の「川越いも友の会」が1987年に定めたとされ、焼き芋の呼び名「栗(九里)より(四里)うまい十三里」にちなんでいます。

目次

サツマイモの日は10月13日|2026年は火曜日

サツマイモの日は毎年10月13日です。祝日ではなく、年によって日付が動くこともありません。2026年の10月13日は火曜日で、前日の12日はスポーツの日でした。翌2027年の10月13日は水曜日にあたります。

表記は「サツマイモの日」「さつまいもの日」のどちらも使われています。記念日の名前としてはカタカナで紹介されることが多いものの、指している日は同じです。

制定したのは埼玉県川越市の「川越いも友の会」

この記念日を定めたのは、埼玉県川越市の「川越いも友の会」です。さつまいもを愛好する人たちの集まりで、1987年(昭和62年)に制定したとされています。さつまいもの名産地として知られる川越から、芋の魅力を広く伝えようとする取り組みのひとつです。

民間の団体が定めた記念日なので、国が決めた行事や祝日とは性格が違います。それでも、由来がはっきりしていて話題にしやすいことから、学校給食の献立表やスーパーの売り場などでも紹介される機会のある記念日です。

サツマイモの日の基本
  • 日付:毎年10月13日(祝日ではない)
  • 制定:埼玉県川越市の「川越いも友の会」(1987年とされる)
  • 13日の由来:焼き芋の呼び名「十三里」
  • 10月の由来:さつまいもが出回る時期
  • 2026年:10月13日(火)

10月が選ばれた理由は収穫と出回りの時期

13日が「十三里」から来ているのに対し、10月はさつまいもの季節にあたることが理由とされています。さつまいもの収穫は、おおむね9月から11月にかけて。10月は新しい芋が店頭に並び、焼き芋の屋台やのぼりを見かける機会も増えていく時期です。

もっとも、さつまいもは収穫してからしばらく貯蔵すると甘みが増すとされ、甘さの面での食べごろは冬にかけて続きます。10月13日は、「いもの季節が始まった」と感じられるころに置かれた記念日といえるでしょう。

由来は「十三里」|13日になった2つの説

13日という日付は、江戸時代に焼き芋が「十三里」と呼ばれていたことに由来します。なぜ「十三里」なのかについては、言葉遊びとする説と、産地までの距離とする説の2つがよく知られています。どちらか一方に決まっているわけではなく、両方を重ねた呼び名として紹介されることもあります。

江戸時代の町角で、湯気の立つ焼き芋を売る素朴な屋台と、それを囲む着物姿の人々。夕暮れのやわらかな光、看板や旗に文字・ロゴは描かない、落ち着いた色調の上品な写真風イメージ

「栗(九里)より(四里)うまい」の洒落

ひとつ目は、言葉遊びの説です。江戸の焼き芋屋が「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という売り文句を掲げたとされ、「九里」と「四里」を足すと「十三里」になる、という洒落になっています。

秋の甘い味覚といえば、まず栗が思い浮かぶ時代でした。その栗よりもおいしい、と胸を張る言い回しで、手ごろな焼き芋を売り込んだわけです。距離の単位「里」に「栗(くり)」と「より」を掛けた、江戸の人々らしい言葉遊びといえます。

江戸から川越までがおよそ十三里という説

ふたつ目は、距離の説です。江戸の日本橋から、さつまいもの産地だった川越までがおよそ十三里あったため、川越の芋を「十三里」と呼んだ、というものです。1里は約3.9kmなので、十三里はおよそ51kmにあたります。

江戸で焼かれていた芋には川越方面から運ばれたものが多かったとされ、産地の名前の代わりに距離で呼んだ、という見立てです。洒落の説とも矛盾しないため、「川越までの距離と、九里+四里の語呂がちょうど重なった」と紹介されることもあります。2つの説を並べると、次のようになります。

説内容ポイント
洒落の説栗(九里)より(四里)うまい→9+4=13栗よりおいしいという売り文句
距離の説江戸・日本橋から川越まで約十三里約51km。川越産の芋を指す呼び名

先にあった呼び名「八里半」

十三里より前には、焼き芋を「八里半(はちりはん)」と呼ぶ言い方がありました。栗(九里)には少し及ばないけれど、それに近い味、という意味です。江戸後期の式亭三馬による滑稽本『浮世風呂』にも、八里半という言葉が出てきます。

その後、栗に「近い」のではなく「上回る」と言い切った十三里の呼び名が登場し、こちらが広く知られるようになりました。控えめな八里半から、自信たっぷりの十三里へ。呼び名の移り変わりからも、焼き芋が江戸の庶民に親しまれていった様子がうかがえます。

なぜ川越なのか|江戸の焼き芋を支えた産地

川越がさつまいもの名産地として知られるようになったのは、江戸に近く、芋を運びやすい場所にあったからです。川越の周辺には水はけのよい武蔵野台地の畑が広がり、さつまいもの栽培に向いていたとされます。

江戸に近い芋の産地としての川越

江戸時代の川越は、新河岸川(しんがしがわ)の舟運で江戸と結ばれていました。この舟運は1638年(寛永15年)、大火で焼けた喜多院や仙波東照宮の再建資材を運ぶために始まったとされ、やがて周辺の農村の産物を江戸へ送る物流の道として発展していきます。

江戸の町で焼き芋が庶民のおやつとして広まると、近くにまとまった産地があることは大きな強みになりました。江戸の焼き芋用の芋は、川越藩の領内と下総(現在の千葉県北部など)の村々が主な産地だったとされ、なかでも川越の芋は味がよいと評判だったと伝えられています。

こうして「川越の芋」は江戸の人々にとって身近な名前になり、「十三里」の呼び名とも結びついていきました。サツマイモの日が川越の団体によって定められたのも、この歴史を背景にしたものです。

いまも続く「川越いも」の名前

現在も「川越いも」は、川越とその周辺で作られるさつまいもを指す呼び名として使われています。実際の畑は川越市内に限らず、周辺の武蔵野台地にも広がっており、江戸時代の「川越の芋」も、川越藩の領内だった近隣の村々で作られたものを含んでいました。

川越の観光地では、さつまいもを使ったお菓子が名物になっています。昔ながらの駄菓子屋が並ぶ「菓子屋横丁」や、蔵造りの町並みの周辺では、芋ようかんや芋せんべい、芋のチップスなどを扱う店が見られます。サツマイモの日の前後に川越を訪ねて、食べ歩きで芋の町らしさを味わうのもよいでしょう。

さつまいもが日本に広まるまで|薩摩から江戸へ

さつまいもは中南米が原産とされ、日本には中国から琉球(現在の沖縄県)を経て伝わりました。そこから薩摩(現在の鹿児島県)へ、さらに江戸のある関東へと広がっていった道のりが、「薩摩芋」という名前にも残っています。

琉球・薩摩を経て「薩摩芋」と呼ばれるように

沖縄では、1605年に野国総管(のぐにそうかん)が中国から甘藷(かんしょ)を持ち帰ったと伝えられています。ただし、これより前の1597年に宮古島へ伝わったとする説もあり、日本への伝来の時期や経路はひとつに絞られていません。

琉球で育てられるようになった芋は、やがて薩摩に伝わりました。中国から来た芋として「唐芋(からいも)」、琉球から来た芋として「琉球芋(りゅうきゅういも)」とも呼ばれ、九州ではいまも「からいも」の呼び名が残っています。江戸など東の地域では薩摩から来た芋という意味で「薩摩芋」の名が定着していきます。伝わってきた方向によって、呼び名が変わっていったわけです。

「甘藷(かんしょ)」は、さつまいもの漢名に由来する呼び方です。いまも農業の統計や品種の正式な名前などでは「かんしょ」という言葉が使われています。

青木昆陽と関東での栽培の広がり

関東でさつまいもが作られるようになったきっかけとして知られるのが、江戸時代中期の学者・青木昆陽(あおきこんよう)です。享保の大飢饉のあと、昆陽はさつまいもの栽培を勧める『蕃藷考(ばんしょこう)』を著し、八代将軍・徳川吉宗に取り立てられました。

1735年(享保20年)には、吉宗の命で江戸の小石川薬園や下総の幕張(現在の千葉市)などで試作が行われ、栽培に成功したとされています。種芋は各地に配られ、昆陽は「甘藷先生」と呼ばれるようになりました。やせた土地でも育つ作物として、飢饉への備えが期待されたのです。千葉市には、昆陽が試作した地の跡が史跡として残っています。

関東の畑でさつまいもが作られるようになると、江戸の町にも芋が出回りやすくなりました。川越の芋が江戸の焼き芋を支え、「十三里」の呼び名が生まれた背景には、こうした栽培の広がりがありました。

サツマイモの日の楽しみ方

サツマイモの日には、決まった行事食や儀式があるわけではありません。焼き芋やふかし芋を食べる、芋のお菓子を味わう、品種を食べ比べてみるなど、気軽に秋の味覚を楽しむ日として過ごせます。由来の「十三里」にちなんで、焼き芋から始めてみるのがおすすめです。

木のテーブルの上で、二つに割った焼き芋から湯気が立ち、黄金色の断面が見えるクローズアップ。そばに皮つきのさつまいもと小皿、背景は秋らしい落ち着いた色でやわらかくぼかす、文字・ロゴは描かない上品な写真風イメージ

家で焼き芋を作るならじっくり低温で

家庭のオーブンでも、時間をかければ甘い焼き芋に近づけます。さつまいものでんぷんは、加熱の途中で芋に含まれる酵素の働きによって糖に変わります。この酵素がよく働く温度帯をゆっくり通すことが、甘く仕上げるポイントです。

  1. さつまいもをよく洗い、水気が残ったままアルミホイルで包む
  2. 天板にのせ、160℃前後のオーブンで60〜90分ほど焼く
  3. いちばん太い部分に竹串がすっと通れば焼き上がり
  4. 太い芋は時間を延ばし、細い芋は早めに様子を見る

電子レンジは短時間で火が通るぶん、甘みが出る温度帯を一気に通り過ぎてしまいます。手軽さを優先するならレンジ、甘さを優先するならオーブンやトースター、土鍋などでじっくり焼く、と使い分けるとよいでしょう。

ふかし芋・芋ごはんで秋の食卓に

焼き芋のほかにも、ふかし芋、芋ごはん、大学芋、さつまいもの味噌汁など、家庭の食卓で楽しめる料理はたくさんあります。せっかくの記念日なので、いつもの献立にひと品さつまいもを足してみるだけでも、季節の話題がひとつ増えます。

料理に合わせて品種を選ぶと、仕上がりがぐっと変わります。ねっとりと甘い品種は焼き芋やスイートポテトに、ほくほくした品種は大学芋や天ぷら、煮物のように形を残したい料理に向いています。品種ごとの特徴や選び方は、次の記事で詳しくまとめています。

十三夜の「栗名月」とあわせて味わう

10月は、月見と秋の味覚が結びつく季節でもあります。旧暦9月13日の十三夜は、栗や豆を供えることから「栗名月」「豆名月」と呼ばれます。2026年の十三夜は10月23日です。

「栗より美味い十三里」と、栗を供える十三夜。同じ「十三」と「栗」が並ぶ10月は、言葉遊びを味わうのにぴったりの季節です。サツマイモの日に焼き芋を、十三夜には栗ご飯を、と食卓で二つの「十三」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

秋の味覚を手仕事で楽しむなら、渋柿を軒先に吊るす干し柿づくりもこの季節ならではです。干し始めに向く時期や揉み方、カビを防ぐコツは、次の記事でまとめています。

サツマイモの日に関するよくある質問

サツマイモの日は祝日ですか?

いいえ。埼玉県川越市の「川越いも友の会」が定めた記念日で、祝日ではありません。日付は毎年10月13日で固定されており、2026年は火曜日、2027年は水曜日です。

十三里は何キロメートルですか?

1里は約3.9kmなので、十三里はおよそ51kmです。江戸の日本橋から川越までの距離が、ほぼこれにあたるとされています。

「九里四里うまい十三里」はどう読みますか?

「くりよりうまいじゅうさんり」と読みます。「九里(くり)」に「栗」を、「四里(より)」に「より」を掛けた洒落で、「栗より美味い十三里」と書かれることもあります。

サツマイモの日に食べるものは決まっていますか?

決まった行事食はありません。由来の「十三里」にちなんで焼き芋を選ぶほか、ふかし芋や芋ごはん、芋のお菓子など、好みの食べ方で楽しめます。

なぜ「薩摩芋」という名前なのですか?

薩摩(現在の鹿児島県)を経て伝わった芋だからです。「唐芋」「琉球芋」とも呼ばれ、どこから伝わったかによって呼び名が変わりました。

まとめ

サツマイモの日は毎年10月13日です。埼玉県川越市の「川越いも友の会」が1987年に定めたとされ、焼き芋の呼び名「十三里」にちなんでいます。十三里の由来には、「栗(九里)より(四里)うまい」の洒落と、江戸から川越までの距離という2つの説があります。

川越は舟運で江戸と結ばれ、江戸の焼き芋を支える産地として知られるようになりました。サツマイモの日には、じっくり焼いた焼き芋や芋料理で、江戸から続く芋の食文化を味わってみてください。

10月はほかにも、スポーツの日や十三夜、ハロウィンなどの行事が続きます。10月の行事をまとめて知りたい方は、こちらもあわせてご覧ください。

翌日の10月14日は、1926年にイギリスで童話『クマのプーさん』の原作が出版されたことにちなむ、くまのプーさん原作デビューの日です。2026年は原作の出版からちょうど100周年にあたります。

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